田中清司 - ジャニーズ百科事典
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田中清司

田中 清司(たなか きよし、1948年1月1日 - )は、東京都杉並区荻窪出身のドラマー、スタジオ・ミュージシャン。


目次



芸名変遷

  1. 田中清司
  2. 田中きよし
  3. 田中清
  4. 田中清司


ジャニーズ時代の参加バンド


その後の参加バンド

  • ジュニア・ボーイズ  → ジ・アルファ  → グリーン・グラス
  • リズム101
  • ピープル (幼馴染み&ジャニーズ時代の盟友・穂口雄右も参加)
  • 稲垣次郎とソウル・メディア (同じく穂口雄右も参加)
  • サンズ・オブ・サン
  • (吉田拓郎のバックバンド)
  • 井上尭之バンド
  • Dig It
  • ショウジコーポレーション
  • 大野克夫バンド
  • DONJUAN ROCK'N ROLL BAND
  • 新六文銭

    他・・・


人物・来歴

  • 杉並区立松溪中学校時代の同級生には、穂口雄右せんだみつお(本名:中野光男)が居り、当時よく一緒に遊んでいた。

  • 中学時代からギターやドラムを始め、1963年、15歳の時にジャニーズのバックバンド「ジャニーズ・ジュニア」のドラマーとなる。ジャズ喫茶などでもライブ活動を行なった。

  • 1968年4月、松木恒秀らと、5人組のGSバンド「ジュニア・ボーイズ」を結成し、「田中きよし」の芸名で渡辺プロダクションに所属。
    同年秋に東芝レコードからシングル『謎の瞳』でレコードデビューすると報じられたが、結局中止となってしまった。(そのため、名曲だとも言われているこの曲のプロモ盤レコードはプレミア化し、ネットオークションでは約10万円もの値が付いたこともある)
    1969年、バンド名を「ジュニア・ボーイズ」から「ジ・アルファ」に改名。
    更にその後、メンバーを一人追加して「グリーン・グラス」へと改名。 1970年にシングル『一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー』でようやく念願のレコードデビューを果たした。

  • グリーン・グラスでの活動の傍ら、NHK『ステージ101』の専属バックバンド「リズム101」に、 松木恒秀や武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)らと共に参加。 この時は、「田中清」の名で活動していた。 番組の収録以外でも、番組関係のレコーディングやライブがある時にはバックバンドとして参加した。

  • グリーン・グラス解散後は、1971年に幼馴染み&ジャニーズ時代の盟友・穂口雄右らと「ピープル」名義でシングルを1枚リリース。 更に、穂口雄右、松木恒秀、武部秀明らと共に結成した「稲垣次郎とソウル・メディア」や、 武部や柳田ヒロらと結成した「サンズ・オブ・サン」でもレコードデビューを飾るなど、 数々のバンド活動を経た後、スタジオ・ミュージシャンに転向。

  • 1972年 - 1976年まで、筒美京平の第2期 & 第3期リズムセクションのメンバーを務める。

  • 1972年には「赤い鳥」のレコーディング (『パーティー』)、1973年には吉田拓郎のバックバンド(『LIVE ’73』)、頭脳警察のレコーディング(『誕生』、『仮面劇のヒーローを告訴しろ』)に参加。 また、「かぐや姫」や「風」の バックも担当した。

  • 1974年6月、沢田研二のバックバンドでもあった「井上尭之バンド」に、原田裕臣の後任として参加。 テレビドラマ『寺内貫太郎一家』や『傷だらけの天使』の音楽、また、沢田研二の様々な楽曲のレコーディングに参加した。 後に鈴木二郎と交代で脱退。

  • 1975年、水谷公生(元「アウト・キャスト」や「アダムス」の水谷淳)、武部秀明、渋井博と共に、バンド「Dig It」を結成。以後、南こうせつのバックを務めた。 こうせつの2ndアルバム『ねがい』の裏ジャケットには、彼ら4人が写った写真が載っている。

  • 1976年、TBSドラマ『いごこち満点』の音楽担当であり作曲家の東海林修の直接指導のもと、 バンド「ショウジコーポレーション」名義でレコーディングを行なった。

  • 1977年、大野克夫や後藤次利らと共に、庄野真代のアルバム『ぱすてる331/3』や、越路吹雪のアルバム『一寸おたずねします』などに参加。

  • 1980年に「井上尭之バンド」が解散した事で、新しく「大野克夫バンド」が誕生。 田中もメンバーとして参加し、テレビドラマ『太陽にほえろ!』などの音楽を担当した。

  • 1980年、萩原健一のツアーにバックバンド「DONJUAN ROCK'N ROLL BAND」として、 原田裕臣と共にツインドラムで参加。 ツアー最後の「日劇ウエスタンカーニバル」出演(1981年1月)まで行動を共にした。

  • 自身のレコーディングとしては、1980年頃に秋山一将、坂本龍一、後藤次利と4人で、アルバム『New York』を出している。

  • 1985年7月27日に行われた「ONE LAST NIGHT IN つま恋」では、小室等、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利と共に「新六文銭」として出演し、吉田拓郎のバックを務めた。



ジュニア・ボーイズ (後の「ジ・アルファ」)

メンバー

  • 田中きよし (ドラム)
  • 松木恒秀 (ギター)
      田中とは縁が深く、「リズム101」にも「ソウル・メディア」にも共に参加。 その後は「松木恒秀バンド(松木恒秀グループ)」を結成したり、田中と同じくスタジオ・ミュージシャンとして活躍している。
  • 清水保男 (ボーカル)
      その後歌手に転向し、『あしたのジョー』、『K・O(ノック・アウト)』などをリリース。
  • 伊澤俊司 (ギター)
      解散後、「アオイスタジオ」にエンジニアとして入社。吉田拓郎のCMを録音中に「(株)ユイ音楽出版」にスカウトされ、同社「ユイ・ステージ・サービス」にてコンサートサウンドを手がける。
      1997年、分社化により独立。「(株)ゼロ・ディービー」を設立し、ローリング・ストーンズ、AC/DC、メタリカ、TOTO等の外国アーティストの日本公演や、現在では南こうせつ、松山千春、井上陽水、ゆず、岩崎宏美らのコンサートサウンドを手掛けている。
  • 長野由昭 (ベースギター)

ディスコグラフィ

  • 謎の瞳 (1968年、シングルとしてリリースする予定だったが発売中止。プロモ盤のみが流出)



グリーン・グラス

メンバー

  • 田中きよし (ドラム)
  • 松木恒秀 (ギター)
  • 清水保男 (ボーカル)
  • 伊澤俊司 (ギター)
  • 長野由昭 (ベースギター)
  • 武田基嗣 (後に「青山一也」に改名して俳優に)

ディスコグラフィ

  • 一人でいるよりあなたがいれば c/w ベイビー・アイ・ニード・ユー (1970年、シングル)



ピープル

バンドと言っても、スタジオ・ミュージシャンたちが集ってシングルを一枚レコーディングしただけの活動。

メンバー

  • 田中清司:ドラム/パーカッション
  • 穂口雄右:オルガン/ピアノ
  • 水谷公生:ギター/スライド・ギター/アコースティック・ギター/シタール
  • 武部秀明(元「アダムス」の千原秀明):ベース
  • ラリー寿永:パーカッション/鐘
  • 井上ゴロー:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 杉原マイヤ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 柴田キョウ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)
  • 戸村アケミ:ゲストヴォイス(「ブッダ・ミート・ロック」)

ディスコグラフィ

  • ブッダ・ミート・ロック (1971年、シングル)







出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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