武口あきら - ジャニーズ百科事典
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武口あきら

        


    元・ジャニーズJr.

    本名&旧芸名:武口明(たけぐち あきら)、もう一つの旧芸名:武口明良(たけぐち あきら)。 1965年1月11日、東京都大田区生まれ。 川崎市宮前区野川育ち。 血液型:O型。 Jr.内での愛称:長老 (Jr.の前田直樹が1984年7月に命名)。 川崎市立宮崎中学校、大田区鵜の木にある私立東京高校卒業。 2児の父。

    高校1年の3学期だった1981年、角川映画『ねらわれた学園』の薬師丸ひろ子の相手役募集に応募するも、書類審査で落選(ちなみに最終合格者は高柳良一)。 しかし、2歳上の姉が青山孝郷ひろみのファンだった影響でジャニーズにも興味を持っており、高校1年の終わりに友人と一緒にジャニーズ事務所へも履歴書を送る。
    当然「ジャニーズJr.」を志望しての応募だったが、特技の欄に適当に「ギター」と書いていたことが原因で、約1年後の、高校3年になった1982年4月、赤坂のTBS会館で行われた「ヨッちゃんバンド (後のTHE GOOD-BYE) メンバーオーディション」に呼ばれてしまう。 そして、イルカの曲『なごり雪』を歌った所、バンドメンバーとしてではなく、無事にジャニーズJr.枠で採用された。

  • バラエティ番組
    • ピンキーパンチ大逆転』 (1982年7月1日放送分のエンディングでジャニーズ少年隊のバック)
    • レッツGOアイドル
    • 第10回記念 オールスター寒中水泳大会』 (1983年2月8日放送)
          
          (左が武口。中央は牧村稔、右は前田直樹。上は「きゃんきゃん」の山本博美)
    • 桜中学大音楽会 〜 金八新八仙八貫八と138名の卒業生達

  • テレビドラマ
    • オサラバ坂に陽が昇る 〜 少年の家』 (第4話から出演、朝倉洋次役)
    • 噂のポテトボーイ』 (1〜5、8、11、13話にて仲倉功司役)

  • 映画 『あいつとララバイ
  • ロックミュージカル 『時代はサーカスの象にのって ’84』 (公演パンフレットの制作・販売は無し)
  • 舞台 『This is トモ子』 (公演パンフレットの制作・販売は無し)

    などに出演。
    そして、上記のロック・ミュージカル『時代はサーカスの象にのって ’84』でピンク・レディー未唯と共演したことが縁となり、1984年9月2日のピンク・レディー再結成コンサート(公演パンフレットの制作・販売は無し)にもジャニーズJr.全17名でバックダンサー出演。 しかし武口はこの仕事を最後に、同月、ジャニーズ事務所を退所した。
    尚、Jr.時代に特に仲の良かったメンバーは、守屋二郎牧村稔前田直樹

      

    飲食店でアルバイトをする中、1985年4月、「はるかプロモーション (劇団はるか)」のオーディションに合格し、「武口明良 (あきら)」の芸名でプロダンサーとして所属(しかし途中から「武口明」名義に戻す)。 ジャニーズ事務所の面々(The Good-Bye乃生佳之柳沢超)が出演したミュージカル『原宿物語』や、西城秀樹主演作、大地真央主演作など、数々のミュージカルに出演した他、CMにも出演した。

      

    1986年9月、「はるかプロモーション」を退社。

    その後、1987年に「FENプロモーション」と契約し、歌舞伎町のショーパブ「黒鳥の湖」にてダンサーとして活動。 また、荻野目洋子の日本武道館ライブや、川中美幸の大阪新歌舞伎座公演のバックダンサーを務めたり、バーニングプロダクションの養成所にて、西川純代(元・日劇ダンシングチームのトップダンサー)のダンスクラスのアシスタントも務める。  1988年にFENプロモーションとの契約を解除。

    1988年12月(当時23歳)、西条満の会社「ダンシングオフィス西条」の菊地ヒロユキからの依頼で受けたJR東海のCM「ホームタウン・エクスプレス (X'mas篇)」の審査に合格。 深津絵里の相手役として出演し、ムーン・ウォークとブレイクダンスを披露した。
    (深夜の名古屋駅で撮影。ラストで深津と抱き合うシーンの相手役までを武口が担当したが、このCMには最後に顔がアップショットになる「ロングバージョン」が存在し、そのアップ画面の男性の顔だけは、当時19歳の鶴田史郎という別の人物で撮影された)

    1989年4月に「石井光三オフィス」へ移籍。 翌1990年12月には3人組のコントグループ「KIDS」を結成。 渋谷のLIVE HOUSE「La.mama」にて、渡辺正行プロデュースの「ラ・ママ新人コント大会」に多数出演した。 1992年9月には、深夜のお笑い番組『爆笑王誕生』(日本テレビ)で第四代目の“5週勝ち抜きチャンピオン”に輝いた他、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)に出演したり、M.C.コミヤ (小宮孝泰)のバックダンサーなどでも活動。
    1993年7月にKIDSを解散し、石井光三オフィスからも退所した。 尚、KIDS時代は年齢を2歳若く詐称していた。

    翌1994年、つかこうへい演出の舞台への出演を経て、

        

    有限会社 コーヒー新宿企画」に所属。 「はるかプロモーション」時代の芸名「武口明良」を再び名乗り、1994年から2002年までの8年間、歌舞伎町のショーパブ「アルカザール」(1992年OPEN、1994年8月リニューアルOPEN、2013年9月30日閉店)の専属ダンサーとなる。 更にダンス講師業も始め、「大きな舞台の後ろの片隅で踊るダンサーよりも、小さな舞台の真ん中で踊るダンサーでいたい」を信条に、1997年の結婚後もダンス1本で家族を養う。  1999年12月31日放送の『第50回 NHK紅白歌合戦』では、オープニングと、美川憲一、北島三郎、鳥羽一郎のバックでダンスを踊った。

    2001年、「株式会社 MCエンターテイメント」と契約。

    2004年に自身のホームページ『「踊るお父さん」の「踊る情報局!」』を開設し、その中で同年4月21日より、ブログ「踊るお父さんの日記」を開始。  2008年2月17日には、アリオ亀有で行われたNPO法人かつしか若手産業人会主催のイベント「ワカテドットコム かめありフェスティバル Vol.20」の司会も務めた。

    一方でネットでの集金ビジネス、アフィリエイト、ポイントサイト等にはまり、2008年2月にネットショップ「メンズショップ 武屋本舗」を作成(翌年に閉鎖)。 2009年からは「ネットで稼ぐための情報サイト・笑顔屋」を新たに開設した。

    2009年6月2日よりアメーバブログ「それでも【夢】は諦めない!」(後に「武口あきらの【夢】は諦めない!」→「夢はあきらめない 〜 I won't give up my dreams.」へと改題)を、2011年11月17日からは、青居宗玄(あおい そうげん)のペンネームで、自分の好きな言葉を集めて紹介するブログ「素敵なコトバ/言葉のチカラ」を(ペンネームの使用は開設当初のみ)、 更に2012年2月8日からは、ジャニーズ時代の思い出を綴った珠玉の小説ブログ「あの頃のジャニーズ 〜夢と彼女とジャニーズと〜 [1][2]」 をそれぞれ開設した。

    2010年5月7日、テレビ東京『世界を変える100人の日本人!JAPAN☆ALLSTARS』の「実は私 昔スゴかったんですSP」に、“かつてJR東海のCMに出演していた人物”として出演し、スーツ姿でマイケル・ジャクソンの『Billie Jean』のダンスを披露した。

    プロのショーダンサーとして、新宿歌舞伎町、札幌のショーパブ「ナイトステージ シュー」(4ヶ月間)、そして六本木のニューハーフのショーパブ「RAGAZZA (ラガッサ)」と渡り歩いてきたが、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけにして思う所あり、ショーダンサーを引退。 その後、葛飾区西亀有の清掃事業会社「株式会社 アミック」に入社。 更に2012年3月25日には、世田谷区代田の「ヨガスタジオAnahata」にて、ダイエットストレッチクラスの特別講師も務めた。

    2013年3月9日より、職場である「(株)アミック」のビル2Fにて、格闘技・ダンス教室の「LIFE Amic」を開設。 週末にダンス講師を務める。

    2013年、内田和也(元・劇団四季)、小野沢文恵と共に、一日限定のダンスユニット「3arrows (スリーアローズ)」を結成し、同年8月18日に亀戸・カメリアホールで行われたダンスイベント『ダンサー達の祭典 J・Dance東京Collection 〜Dancing〜』に出演。

    同年11月9日、芸名を「武口あきら」に改名。

    同年12月8日、「LIFE Amic」でのダンス講師を終了。勤務先のアミックも12月27日で退社した。 また、同じ12月に離婚をしたこともFacebookで公表した。

    2014年初頭、自身が運営する複数のサイトをまとめた総合ホームページ「DREAM SHARE」を開設。

    同年2月、舞台『ハッチ2014』(2月12日 - 16日、銀座みゆき館劇場、作・演出:西澤周市)に出演。 この舞台には、元ジャニーズJr.の工藤嘉誠も共演。

    その後、2014年4月〜2015年3月まで訪問営業職を経験し、2015年5月より「株式会社 堀本商事」に就職。
    居酒屋 「魚串・鮮魚 魚然 新宿店 での研修を経て、「鯛めし 魚然 自由が丘店 に勤務。
    更に同年7月より、「炉端焼 魚然 池袋店 も時折手伝いつつ、「炉端焼 魚然 銀座三丁目店 に異動。
    同年11月より、銀座三丁目店の店長に就任。
    2015年11月2日には、店を取材しに来たテレビ番組『ハイボール万歳!』(5分番組、BS-TBS)に出演し、武田修宏と絡んだ他、ムーンウォークも披露した。  また、この店は店長である武口の権限で、2015年12月26日に開催されたジャニーズOBの忘年会会場としても使用された。

      

    2016年5月30日より、再び「鯛めし 魚然 自由が丘店」に異動し、店長を務める。 そしてこの店には、同年7月14日と12月26日に、元・忍者遠藤直人がランチを食べに訪れ、実に32年ぶりの再会となった。

    同年12月、「JR東海のCMに出演していたブレイクダンサーの現在の姿を追う」という趣旨で、ラジオ番組が自由が丘店に収録しに訪れ、『バブリー・ラブリー』(2016年12月16日放送、渋谷のラジオ)に出演。 パーソナリティの野田ひろみとトークを繰り広げた。

    2017年3月23日、新ブログ「居酒屋店長のよもやま話」を開設。

    2017年5月9日をもって「鯛めし 魚然 自由が丘店」での勤務を終え、同月11日より八丁堀の本まぐろ料理専門店「生 本まぐろ 一心」に異動。  しかしわずか一ヶ月後の6月13日より、かつて働いていた「炉端焼き 魚然 銀座三丁目店」に再び異動。


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