スケートボーイズ - ジャニーズ百科事典
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スケートボーイズ

スケートボーイズは、1987年後半から1988年半ばにかけて、ジャニーズ事務所に存在したアイドルグループ。 SMAPの前身。
スケートボードに乗って、光GENJIのバックを務めた。


目次



メンバー

  • 後のSMAP
    • 中居正広 (当時15歳)
    • 木村拓哉 (当時15歳)
    • 稲垣吾郎 (当時14歳)
    • 森且行 (当時14歳)
    • 草g剛 (当時13歳)
    • 香取慎吾 (当時11歳)
  • 後の平家派、及び TOKIO
    • 国分太一 (初期のSMAP → 後期のスケートボーイズ → 平家派 → TOKIOの順で参加)
  • 後の平家派
    • 松原一平リーダー
        グループのリーダーとして、草gや香取ら年少メンバーのスケジュール管理(連絡網係)も担当していた。 元々は「GENJI」の候補メンバーでもあった人物。
    • 松元治郎 (スケートボーイズ → 初期のSMAP → 平家派の順で参加)
    • 岩佐克次 (スケートボーイズ → 初期のSMAP → 光GENJIのバックバンド → 平家派の順で参加)
    • 岡田賢一郎 (スケートボーイズ → 光GENJIのバックバンド → 平家派の順で参加)
    • 佐藤敬
    • 石川徹
    • 渡辺一久
    • 米山武志
    • 東昌孝
    • 佐藤功 (初期のSMAP → 後期のスケートボーイズ → 平家派の順で参加)
    • 小山田英樹 (後期に参加)
    • 長谷川文高 (後期に参加)
  • 他数名

候補メンバー

  • 橋本久良生
      スケートボーイズの結成前に、ジャニー喜多川からスケートボードを買い与えられて練習はしていたが、実際にグループに参加することは無かった。

  • 長野博
      当グループ結成前に、ジャニー社長から電話で「You、スケボーできる?」と言われたが、「できない」と答えた。 その3分後にもう1度「スケボーできる?」と電話がかかってきたが、「だからできないって!」と答えてしまい、参加には至らなかった。

誤報されているメンバー

  • 坂本昌行
      坂本もスケートボーイズに参加していたとするサイトがあるが、これは誤り。  また、2017年1月11日放送のフジテレビ『TOKIO× (カケル) 』にて井ノ原快彦が、「坂本君もスケートボーイズだった」と述べたが、これも井ノ原による認識違い。 坂本は結成初期のSMAPに雑誌用のサポートメンバーとして一度参加したのみで、スケートボーイズには参加していない。
      同日放送の『TOKIO× (カケル) 』では他にも、長野博が「佐藤アツヒロのジャニーズ入所は1986年5月」だと言ったり(実際は1986年8月30日)、坂本と国分太一が「俺たちが入所したのは1987年」と言うなど(実際は1988年1月31日)、複数の間違い(記憶違い)が放送された。

  • 野口隆史 (後の反町隆史)
      反町隆史もスケートボーイズに参加していたとするサイトが多数あるが、これも誤り。 Wikipediaに書き込まれた誤情報がどんどん拡散されていったのが原因。  反町は「平家派」にしか参加していない。


概要

  • 1987年の秋に結成。 1987年11月26日発売の光GENJIの2ndシングル『ガラスの十代』のバックで、スケートボードで滑るグループとして初登場。

  • 1988年4月、各アイドル誌にて、主要メンバー12名で正式に初お披露目(中居、木村、稲垣、森、草g、香取、松原、松元、岩佐、岡田、佐藤敬、石川)。 キャッチコピーは、「Sports Music Assemble People」、「SMAP時代のスケートボーイズ」。 続けて、「トンボ学生服」のCMにも12名で出演した。
    各アイドル誌で紹介されたのは最後までこの12名のみだったが、実際には歌番組やコンサート、アイドル野球大会などでグループに参加した者も居るため、メンバー数は延べ20名近くに上る。

  • 1988年6月21日発売の光GENJIの4thシングル『Diamondハリケーン』でも、3〜7名ほどのメンバーがスケートボードで走行。 ローラースケートで走行する時もあった。
    同年6月10日放送の『ミュージックステーション』では、光GENJIの赤坂晃と佐藤敦啓が義務教育中の中学3年生ということで夜の生放送番組に出演できなかったため、SMAPの中居と木村、スケートボーイズから抜粋された岩佐、佐藤敬、渡辺、米山の計6名が、「敦啓ピープル」のユニット名でバックダンサーとして初登場。 木村と佐藤敬の2名はマイクを握って歌唱もした。
    更に別の日の『ミュージックステーション』にも、やはり出演できなかた赤坂と敦啓の穴埋めとして、5名の「敦啓ピープル」(岩佐は欠席)でバックダンサーとして登場。 この時も木村と佐藤敬だけはマイクを握って歌った。
    また、同年6月15日放送の『夜のヒットスタジオ』では、欠席した木村の代役として、ジャニーズJr.の桑名兼司がサポート参加。 この時は6名全員でマイクを握った。


エピソード

  • 1988年春、大量のジャニーズJr.が、『ミュージックステーション』(4月8日放送)と『ザ・ベストテン』にて各1回ずつ、田原俊彦の『抱きしめてTONIGHT』のバックダンサーを「B・D 104」とのジョイントで務めたことがあったが、そのJr.の中にはスケートボーイズのメンバーも少しだけ含まれていた。 木村拓哉、佐藤敬など。 橋本久良生も参加。  尚、後にSMAPとなるメンバーの中で、この田原のバックに参加したのは木村のみ。

    (1988年4月8日放送の『ミュージックステーション』。 左側の手前が木村。その後ろが佐藤敬。 右側の手前から2人目が橋本)

  • CM出演した「トンボ学生服」の販売促進用として作られた下敷きでは、下半分がSMAPの5人(中居、木村、稲垣、草g、香取)、上半分が脱落組(森且行も含む)と言う、何とも因縁めいた構図となっている。

  • SMAPが結成後された後も、しばらくは並行してスケートボーイズが存在したが、数か月後に自然消滅した。漏れたメンバーのほとんどは、後に「平家派」として活動。 しかしそれも1990年初頭に消滅した。 TOKIOのメンバーとなった国分太一を除き、全員がジャニーズ事務所を退社。  尚、松元治郎は後に「和久二郎」に改名し、「WANDS」の第3期ボーカリストとして活動した。

  • 後にフジテレビ『SMAP×SMAP』の中のコーナー「歌え!アイドルキックオフ」にて、SMAPの5人が「スケートボーイズ」を名乗り、セルフパロディとしてコント的に再現している。 初登場は1999年1月25日。 いかにもスケートボーイズ時代に着ていたかのような、ピンク色のタンクトップ、白色の短パン、バンダナという衣装に身を包み、マークン(中居)、タックン(木村)、ゴロゴロ(稲垣)、ツヨチャン(草g)、シンゴ(香取)といった、このコーナー用のニックネームで登場。 そして、『Say Yes I$ (アイドル)』というオリジナル曲までこのコーナー用に作られた。


出演

CM

  • トンボ学生服 (1988年)
       同商品のCMには、翌1989年にもSMAPの6人だけで改めて出演している。







出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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