男闘呼組 - ジャニーズ百科事典
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男闘呼組

男闘呼組(おとこぐみ)は、ジャニーズ事務所からデビューしたロックバンド。
1985年3月結成。 1993年6月30日付で解散。


目次



メンバー

  • 成田昭次 (1968年8月1日生まれ。ボーカル&リードギター)

  • 高橋一也 (後の高橋和也。1969年5月20日生まれ。ボーカル&ベースギター)

  • 岡本健一 (1969年5月21日生まれ。ボーカル&リズムギター)

  • 前田耕陽
      (1968年8月16日生まれ。キーボード。ボーカル曲もあるが、主にコーラス担当) リーダー

脱退メンバー

  • 守屋二郎 (1967年1月25日生まれ。ベースギター。特技:テニス)
        結成時に参加したが、「大学受験のため」との名目で最初に脱退。

  • 土田一徳 (後の坂井一徳) (1969年6月28日生まれ。キーボード)
      守屋と入れ替わりで参加したが、社長に反抗して腹部を蹴飛ばしてしまい、すぐにメンバーから外された。[1]

  • 遠藤直人 (1969年4月20日生まれ。リズムギター)
        結成時から参加していたが、「やはりダンスがしたい」と社長に頼み、土田に続いて脱退。

    守屋、土田、遠藤が抜け、一時は成田、高橋、岡本の3人だけで活動していたが、すぐに「東京男組」時代から時折サポート的に参加してきた前田が正式加入した。

バンドサポートメンバー

  • 小関純匡 (初代ドラマー)
      こせき すみただ。 後に堂本剛のソロファンクプロジェクト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」のバックミュージシャンに。 また、高橋、前田と共に「Midnight Angel」も結成。

  • 江口信夫 (二代目ドラマー)
      えぐち のぶお。 愛称:エロリン。 1958年10月5日生まれ。東京都出身。血液型:AB型。日本大学芸術学部放送学科卒業。 後に浜崎あゆみのバックバンドでドラムをしたり、松原秀樹らと共に「Vibes」のメンバーとしても活躍。

  • 平山牧伸 (三代目ドラマー)
      ひらやま まきのぶ。 愛称:ヒラぽん。 1966年6月30日生まれ。血液型:A型。 神奈川県川崎市多摩区出身で、幼稚園を経営する裕福な家庭に育つ。 1974年の小学校2年生の時に、「多摩区剣道大会」で3位になったことがある。 天然ボケなイジられキャラと高い声が特徴。 愛車は黒のフェラーリ。
      男闘呼組解散後は、「大事MANブラザーズバンド」のドラムに。  1997年から2001年までは成田と共に「INORGANIC」として活動。  更にフジテレビ『ミュージックフェア』の専属バックドラマーも務めた他、ダイアモンド☆ユカイ、國府田マリ子、コダマセントラルステーション、桑名正博など、サポート歴多数。  また、光GENJI、タッキー&翼のレコーディングに参加したこともある(LIVEのバックバンドには不参加)。

  • 田中厚 (キーボード担当)
      たなか あつし。 愛称:あっちゃん。 キーボードを演奏出来なかった前田の穴を埋めるために参加。 コンサートでのメンバー紹介の際には、バンド内にキーボードが2人も居るという矛盾点を不自然に思わせないよう、あえて“ピアノ”と紹介されていた。
      後にDJをやったり、レゲエジャムバンド「goyon」のキーボーディストとなった。

  • バラエティ番組『アイドル花組おとこ組』内での当て振り演奏メンバー


概要

グループの成り立ち

  1. 1984年夏、事務所内で仲の良かった成田高橋の2人が、プライベートバンド「でたらめロックバンド」を結成。

  2. 1984年の末に、成田高橋岡本遠藤守屋の5名で明治製菓のチョコレート「アーモンドゴールド」のCM撮影を行い、CMソング『誠 ほれたぜ』もレコーディング。 この5名で、雑誌『週刊セブンティーン』(1985年1月8日&15日合併号)に「ジャニーズ・ジュニア」名義で初登場し、1985年の春にレコードデビューする予定だと報じられる。

  3. 続いて、雑誌『マイアイドル』と『ザ・ベスト・ワン』の1985年3月号(撮影時期は1984年12月末)には、成田高橋岡本の3名のみで、やはり「ジャニーズ・ジュニア」として登場。 この3月号の誌上で、「ジャニーズJr.の中から更に数名を集めてバンドグループを結成する」という企画が発表される。

  4. 新しく結成するバンドの名前を、社長のジャニー喜多川が「東京」と命名。
    そして、雑誌『月刊平凡』(1985年3月号)に上記5名を含めた計10名のジャニーズJr.が登場。 雑誌に付いている投票券をハガキに貼って投票することで「東京」のメンバーが決まるとの告知を行う。

  5. 1985年2月、「アーモンドゴールド」のCMがオンエア開始。  同月、「東京」の他に「東京男組」(後述)と名乗るようにもなり、同時期に2つのグループ名が存在。 そして月刊平凡での投票が上位だったとのことで、前田耕陽が新たにサポートメンバーとして「東京男組」と名乗る時にのみ参加。 計6名となる。

  6. 1985年3月、サポートメンバーの前田も含めた6名でグループ名を正式に「男闘呼組」へと改名。 『週刊セブンティーン』(同年3月19日号)にて「男闘呼組」の名称がいち早く伝えられる。 (掲載メンバーは成田、高橋、岡本の3名のみ。また、この春に予定されていたレコードデビューはしばらく先になることも伝えられた)
    しかし同3月、ベース担当の守屋が「大学受験のため」との名目で脱退。 この守屋との入れ替わりで、渋谷の街で社長にスカウトされた土田一徳が“キーボード担当”として加入(つまりベース担当が一時不在に)。 そして、成田、高橋、岡本、遠藤、土田の5人で、同年4月3日よりテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に出演開始。 しかしその後、土田が社長の腹部を蹴飛ばして反感を買ってしまい、すぐにメンバーから外される。[2]
    以後、土田は俳優活動に専念。

  7. 同年4月末、成田、高橋、岡本、遠藤に、サポートメンバーの前田を加えた計5名で「アーモンドゴールド」の第2バージョンCMの撮影をする。(オンエア開始は同年9月から)

  8. やがて、リズムギター担当だった遠藤も、「やはりダンスがしたい」と社長に頼んで脱退。 後に「少年忍者」のメンバーに。

  9. 元々の主要メンバーである成田、高橋、岡本の3名だけでの活動が少しの間続く。 『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも、明治製菓のチョコスナック「おばけランド」のCMにも、3名だけで出演。

  10. 「東京男組」の時から時折サポート的に参加していた前田が、ドラム担当として正式に男闘呼組に迎え入れられる。 これにより、高橋の担当楽器がドラムから、不在だったベースギターに変更。 しかし、間もなくして前田の担当楽器もドラムからキーボードへと変わった。 以後、2人のプロミュージシャン(ドラムとキーボード)をサポートメンバーとして迎え、6人編成のバンドスタイルで活動していくこととなる。 (キーボードがバンド内に2名存在したのは、前田が本当はキーボードを演奏出来なかったため)

  11. 雑誌『週刊セブンティーン』(1985年10月1日号)にて、リサ・ステッグマイヤー、ブランディ、アヤと共にファッションモデルとして掲載。  ロケ地として使用された「国立近代美術館 工芸館」は、かつてフォーリーブスがデビューシングル『オリビアの調べ』のレコードジャケット撮影で使用した洋館。

  12. 1985年12月29日と1986年1月4日に、「少年隊スペシャルコンサート」に出演。

  13. 1986年1月8日、初の冠レギュラー番組『アイドル花組おとこ組』が放送開始。

  14. 同年4月より、念願だったファーストコンサートツアー「ヤングコミュニケーション ’86 〜祭 PART1〜」を開催 (4月27日:名古屋市民会館、29日:大阪厚生年金会館、5月4日:東京厚生年金会館)。  このツアーには、すぐに脱退となってしまった土田一徳もキーボード&ゲストMCとして出演した。

    同年8月のコンサート「男闘呼組 夏祭」では、ミニミュージカルも上演。

  • 1987年1月1日、日本武道館で行われた少年隊のコンサート「NEW YEAR CONCERT ’87」にゲスト出演し、『TENSION!』を披露。
  • 同年3月4日、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に初出演し、『TENSION!』を披露。
  • 同年8月3日、『Made in U.S.A』にてビデオデビュー。
  • 同年8月13日、TBS『ザ・ベストテン』にスポットライトゲストとして初出演し、『STAND OUT ! !』を披露。
  • 1988年2月20日、映画『ロックよ、静かに流れよ』公開。  珠玉の名作として名高い当作品において、男闘呼組は「第43回 毎日映画コンクール」にてスポニチグランプリ新人賞、「第10回 ヨコハマ映画祭」にて最優秀新人賞を受賞した。
  • 同年8月24日、『DAYBREAK』でレコードデビュー(オリコン最高1位、年間4位)。 同年の日本レコード大賞では最優秀新人賞も受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。
    アイドルグループであった一方、“本格派ロックバンド”をコンセプトにもしており、レコードデビュー時のキャッチフレーズは「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」だった。
    『DAY BREAK』に続いて、『秋』、『TIME ZONE』などのヒット曲を発表していき、 1991年のシングル『ANGEL』からは自作曲が中心となる。
    なお、レコードデビュー以前から既にメディアへの露出が多かったことや、事務所側の期待が大きかったこともあり、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で、当時の音楽番組の雄であったフジテレビ『夜のヒットスタジオ』への初出演を果たしている。
  • 1993年6月30日付で、突如グループが活動休止(実質的な解散)となる。 予定されていたその年の夏のコンサートツアーも、全公演のチケットが完売だったにもかかわらず全て中止となってしまった。
    当時この解散劇については全くの謎とされていたが、後に高橋が「一也」から「和也」に改名した際の女性週刊誌のインタビュー記事にて初めて明らかとなった。  まず、以前から高橋による事務所に対しての反抗的な行いが続いており、これに事務所の副社長・メリー喜多川が激怒。 更に高橋には当時、ドラッグ使用疑惑があり、「疑わしきは罰す」というジャニーズ事務所特有の掟により、1993年6月30日付で高橋を解雇。 同時にグループは活動休止を余儀なくされ、解散となった。
    以後、高橋はジャニーズ事務所のタレントと共演することを許されていなかったが、1997年4月3日放送の日本テレビの単発ドラマ『院内感染』にて、4年ぶりとなるジャニーズタレント(岡本健一)との共演が実現した。
  • 解散後は、成田はシンガーソングライターとして、高橋、前田、岡本の3人は主に俳優として活動。


エピソード

  • 歌番組で曲を披露している最中は、どれだけテレビカメラが接近しても、メンバー全員が絶対にカメラを見ることなく、意識的に目線を外しながら演奏するのが特徴だった。

  • 男闘呼組の解散に関しては、諸説が存在する。

    1. 高橋が素行不良で1993年6月30日付けで解雇されたことによりグループを脱退。この時をもって解散と見るのが一般的な説。(高橋本人も、女性週刊誌のインタビューにて、事務所を解雇された経緯とグループの解散を語っている)

    2. 1994年の春に男闘呼組のファンクラブが解散となったため、この時が解散だという説。

    3. そもそも男闘呼組は解散宣言をしていない。「高橋が解雇されたからグループも解散」とは一部のマスコミによる見方であり、あくまで“活動休止状態”に過ぎないという説。

      しかし、高橋の解雇までの経緯や、岡本がずっとジャニーズ事務所に所属しているという点、更に成田が大麻所持で逮捕されたことなどから、再結成は難しいとされている。 それでもなお、ファンたちからは再結成を願う声が続いている。
  • デビュー前より音楽的趣向が強く、後にコンサートにて「ペンライトは使うな!」と呼びかけるようになった。 また、イメージ的にパンクロック的な乗りを持っており、「ビートルズなんてクズだ!」という発言をしてしまったため、当時の音楽ファンから大きな非難を浴びたこともある。 そして、“所詮はジャニーズのアイドルバンド”との偏見や批判の声もあったが、4枚目のアルバム発表時からはメンバー自身が作詞・作曲を手掛けるのが常となってアーティスト色も強まり、アイドルバンドとの呼び声も消えていった。 後に前田はバラエティ番組内で、楽器経験のなかった前田自身は「初期は演奏しているフリだけだったが、自作曲をプレイしていた後期は演奏を行っていた」と語っている。
  • 成田と岡本は事務所の先輩の野村義男に師事してギターを学んだ。(その後、SMAPの木村拓哉が岡本にギターを師事している)
  • 最初の頃はグループのリーダーを決めていなかったが、レコードデビューを機に、車の中でジャンケンで決められた。しかも、勝った者ではなく負けた者(前田)がリーダーになった。 また、前田はメンバーの中で一番朝に強く、早起きが出来るからという理由もあった。
  • 1990年半ばまで、新宿・歌舞伎町に「男闘呼組」という名前のカラオケBOXが存在していた。 また、2009年9月26日には大阪・宗右衛門町にも「男闘呼組」という名前のホストクラブがOPENしている。
  • 2ndアルバムに収録されている『赤ちょうちんでくらせ』(作詞・作曲:高橋、歌:高橋&成田)と、3rdアルバムに収録されている『自分勝手』(作詞:高橋、作曲・歌:高橋&成田)は、ジャニーズ事務所に対する不満を込めた内容の曲だと言われている。
  • 2008年1月24日、関西方面のローカルワイドショー番組『なるトモ!』(よみうりテレビ)にて、前田がレギュラーとして参加している木曜日に高橋がゲスト出演。 13年ぶりとなるテレビ共演を果たした。 その際、前田は「せっかくグループの時の服を着てきたのに、高橋は普通の格好をしてきた」と言って笑いを誘っていた。


主な出演作品

※ ソロ出演作は各メンバーの項目に記載。

テレビドラマ

連続ドラマ

  • 野性登場 (1986年、テレビ東京『ここんちプラネッと!』内のドラマ)
  • 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ (テレビ東京)
    • 野性誕生 (1986年10月 - )
    • Be!Boys 〜 未完成青春曲
  • ボクの姉キはパイロット! (1987年8月18日 - 9月22日、全6回、TBS)
  • オトコだろッ! (1988年7月21日 - 9月22日、全8回、フジテレビ)
       全8回の内1回はメイキング編 (1988年8月18日放送)
  • あぶない少年V (1988年 - 1989年、テレビ東京)

単発ドラマ

  • スター・バラエティ 「南青山ハッピー通り」 (1987年1月2日、NHK総合)
       44分番組。 収録日は1986年12月10日。
  • 不倫の構図を追え! 写激狩人フォトハンターU 〜 秘湯にけむる家元夫人醜聞の現場
       (1987年4月6日、テレビ東京・ドラマ 女の手記)

バラエティ番組

  • 欽ちゃんのどこまでやるの!? (1985年4月3日 - 7月3日、テレビ朝日)
      司会の萩本欽一が休養していた3ヶ月の間、成田・高橋・岡本・遠藤・土田で出演(しかし遠藤と土田はグループ脱退のためすぐに降板)。 パステル系の黄・桃・緑のカラーを使った黒子型の衣装を着て、番組中盤に番組テーマソング『ちょっと待ってどこまでやるの!』を歌っていたが、 レコードデビューの約1年後、番組で競演していたコサキン(小堺一機&関根勤)のラジオ番組にゲスト出演した際、「あの番組に出てたことは忘れたい」と異口同音に語り、スタジオを凍り付かせた。

  • コント山口君と竹田君のおじゃまします (1985年9月17日 - 11月1日、TBS)
      高橋一也がレギュラー出演していた番組で、男闘呼組もゲストという形で多数出演した。 新宿南口にあった「新宿コメディシアター」からの生放送番組。制作:東阪企画、演出:澤田隆治。 低視聴率のため、わずか1ヶ月半という超短命で早々に打ち切りとなり、最終回では演出の澤田が視聴者に、 番組打ち切りの旨を謝罪発表した。(なお、コメディシアターはその後閉鎖され、成人向け映画館「新宿国際劇場」となった)

  • キンキンの歌え!新婚カンコン (フジテレビ) 長崎での収録時にゲスト出演
  • アイドル花組おとこ組 (1986年1月8日 - 3月26日、日本テレビ)
  • ヤンヤン歌うスタジオ (テレビ東京)
  • ここんちプラネッと! (1986年4月16日 - 8月27日、テレビ東京)
  • ロッテ 歌のアルバムNOW (TBS)
  • ギブUPまで待てない ! ! ワールドプロレスリング (1987年4月 - 9月、テレビ朝日)
  • 森田一義アワー 笑っていいとも! 「テレフォンショッキング」ゲスト
      (1987年9月16日、1988年11月14日、フジテレビ)
  • 夜のヒットスタジオ (フジテレビ) 総出演回数:24回

       

  • NHK紅白歌合戦 (NHK総合)
    • 1988年12月31日 - 『DAYBREAK』
    • 1989年12月31日 - 『TIME ZONE』

ラジオ

  • いくぞ!男闘呼組 (1986年10月 - 、文化放送)
  • Teen'sギャング男闘呼組
      (1987年4月 - 9月、文化放送『東京っ子NIGHT お遊びジョーズ ! !』内)
  • ワイルドKNIGHTS男闘呼組
      (1987年10月 - 1988年3月までは『15はドキドキ ピンクコング』内、1988年4月からは再び『お遊びジョーズ ! !』内で放送。 文化放送)
  • 男 DE NIGHT! (ニッポン放送)
  • 男 DE NIGHT! ぶっちぎり爆走LIVE
      (1990年3月21日、ニッポン放送。 X JAPAN〔当時は「X」〕のTOSHIとTAIJIがLIVEにゲスト参加した)
  • ミッドナイト・スペシャル Part1
      (ABCラジオ。一夜限りの放送。 翌日放送分のPart2はSMAPがパーソナリティを担当)

映画

舞台

  • コンサート「男闘呼組 夏祭」内でのミニミュージカル (1986年8月)
  • スラブ・ボーイズ(The Slub Boys) (1993年6月5日 - 30日、PARCO劇場)
      演出:ロバート・アラン・アッカーマン。初日の前日にはプレ公演も行われた。 そしてこの舞台が、「男闘呼組」の最後の活動の場となった。

CM

  • 明治製菓 チョコスナック 「おばけランド」 (1985年4月 - ) 成田、高橋、岡本の3名
  • 明治製菓 「アーモンドゴールド」 第2弾バージョン (1985年9月 - )
      成田、高橋、岡本、遠藤、前田の5名で出演。 テーマソングの『誠 ほれたぜ』は、第1弾の時よりもスローバージョンになっている。  また、高橋、遠藤、前田の3名が当CMでバック転を披露している。
  • バラエティ番組『アイドル花組おとこ組』の番宣CM (1986年) 少年隊と共演
  • 服部セイコー 腕時計 「AVENUE」 (1989年)
  • 江崎グリコ 「アーモンドチョコレート」 (1989年)


ディスコグラフィ

シングル

  1. DAYBREAK (1988年8月24日)
      8月24日と31日の2週に渡り、カップリング曲とジャケットの異なるバージョン4種を、2種類ずつ発売。  オリコンのシングルチャートにおいて、“CD”としては日本で初の週間1位となったシングルでもある。 また、1988年度のオリコン年間順位4位でもある。
      1. 8月24日 - 「ロックよ静かに流れよ 〜Crossin' Heart〜」 (同名映画の主題歌)
      2. 8月24日 - 「第二章 追憶の挽歌」 (テレビドラマ『オトコだろッ!』の主題歌)
      3. 8月31日 - 「Stand Out」 (テレビドラマ『ボクの姉キはパイロット! 』の主題歌)
      4. 8月31日 - 「Midnight Train」 (元々は『ギブUPまで待てない ! ! ワールドプロレスリング』のエンディングテーマだった曲。後にジャニーズJr.のユニット「J-Boys」がカバー)
  2. 秋 c/w LONELY... (1988年12月27日)
  3. TIME ZONE c/w 秋 〜IT'S A BALLAD〜 (1989年2月28日)
      A面曲は服部セイコー「AVENUE」のCMソング。 後にジャニーズJr.もカバー。
  4. CROSS TO YOU c/w ROCKIN' MY SOUL (1989年8月2日) 両A面シングル
  5. DON'T SLEEP c/w MY LIFE (1990年1月24日)
  6. ANGEL c/w TEARS (1991年1月17日)
      2005年にリリースされたNEWSの楽曲『LOVE SONG』(山下智久のソロ曲。作詞・作曲:山下智久。アルバム『touch』収録)のメロディーの一部が、男闘呼組の『ANGEL』に酷似している。
  7. 眠りにつく前に c/w やってるね (1992年6月3日)
  8. Thursday Morning c/w みんな仲よし (1992年7月1日)
  9. THE FRONT c/w 目で見ちゃだめさ (1992年8月5日)
  10. TOKYOプラスティック少年 c/w 見えない虚像 (1993年8月21日)
      解散後にリリースされたシングル。 A面曲は、“東京”に関する楽曲を集めたコンピレーションアルバム『TOKYO 〜都制50周年記念アルバム〜』のために作られ、同年7月1日先行リリースされていた楽曲で、曲調はラップ。 作詞・作曲者の「ヤズカ」(アルバムでは「高橋ヤズカ」)とは、高橋一也のこと。 コンピレーションアルバムだと曲の長さは4分36秒だが、シングルでは4分6秒に短縮されている。
      また、同日発売のアルバム『ロクデナシ』に収録されている『ジャニーズ A GO GO』は、当A面曲の歌詞違いとなっている。 更に、氣志團の別名義ユニット「木更津プラスティック少年帯」の名前は、当シングルがきっかけとなっている。

   シングル売上推移 (オリコン調べ)

   


非売品プロモEP

  1. ロックよ、静かに流れよ 〜CROSSIN' HEART〜 c/w LONELY... (1988年2月)

オリジナルアルバム

  1. 男闘呼組 (1988年9月26日。オリコン最高2位)

       

  2. 男闘呼組 二枚目 (1989年6月28日。オリコン最高2位。売上:23.7万枚)

       

  3. 参 (1990年3月28日。オリコン最高1位。ロンドンレコーディング作品)

       

  4. I'm Waiting 4 You (1991年2月21日。オリコン最高3位)

       

  5. 5の1…非現実… (1992年6月21日。オリコン最高9位)

       

  6. 5の2…再認識… (1992年7月22日。オリコン最高12位)

       

  7. 5の3…無限実… (1992年8月21日。オリコン最高11位)

       

  8. ロクデナシ (1993年8月21日。オリコン最高35位)
      解散後にリリースされたオリジナルアルバム。 収録曲『ジャニーズ A GO GO』は、 同日発売のシングル『TOKYOプラスティック少年』の歌詞違いであり、ロック色を前面に押し出したものになっている。

       

ベストアルバム

  1. BEST OF BALLADS (1992年12月2日)

       

  2. NEW BEST 男闘呼組 (1994年11月23日)

       

  3. HIT COLLECTION (1999年11月20日)

       


客演アルバム

  成田昭次
  • SHOOT THE GUITARIST (1990年5月2日)
      映画『ふうせん』のサウンドトラックアルバム。 ギターインスト曲『DAD & SON』の作曲、演奏を担当。
  岡本健一
  • ROCK LOVE (1992年9月9日)
      元「GASTUNK」のTATSU(篠崎辰也)の1stアルバム。 収録曲『NOBODY KNOWS』の作詞、ボーカルを担当。
  男闘呼組
  • TOKYO 〜都制50周年記念アルバム〜 (1993年7月1日)
      “東京”に関する楽曲を集めたコンピレーションアルバム。『TOKYOプラスティック少年』を収録。 翌8月、男闘呼組のラストシングルとして発売。 作詞・作曲者の「高橋ヤズカ」(シングルでは「ヤズカ」)とは、高橋一也のこと。 コンピレーションアルバムだと曲の長さは4分36秒だが、シングルでは4分6秒に短縮されている。  また、氣志團の別名義ユニット「木更津プラスティック少年帯」の名前はこの曲がきっかけとなっている。

CD化されていない楽曲

  • 誠 ほれたぜ (明治製菓「アーモンドゴールド」CMソング)
  • ちょっと待ってどこまでやるの! (『欽ちゃんのどこまでやるの!?』テーマソング)
  • TENSION! (当初のタイトルは「ZERO★TENSION」)
  • STAND OUT ! ! (スロー・バージョン)
  • 夜を撃て
      『ギブUPまで待てない ! ! ワールドプロレスリング』オープニングテーマとして使用。 ただし、同番組のために作られた訳ではなく、それ以前からあった曲である。番組には一時期、男闘呼組も出演した。
      なお、同番組のエンディングテーマとして使われた「Midnight Train」は、後に「DAYBREAK」のカップリング曲の一つに選ばれた。
  • 勝負! (男闘呼組が作詞・作曲)
  • 禁断のエロキューション
  • DETARAMEクレイジーナイト (『ヤンヤン歌うスタジオ』テーマ曲。男闘呼組が作詞・作曲)
  • 野性登場 (『ここんちプラネッと!』テーマ曲)
  • 下から2番目の男 (成田ソロ。原曲は小山卓治)
  • MONEY (高橋ソロ。原曲は浜田省吾)
  • ジュリエットへの手紙 (岡本ソロ。原曲は田原俊彦)
  • Change Of Heart (前田ソロ。原曲はシンディー・ローパー)
  • シーサイド・バウンド (原曲はザ・タイガース)
  • E気持 (原曲は沖田浩之)
  • 六本木心中 (原曲はアン・ルイス)
      前田耕陽が出演していた連続ドラマ『トライアングル・ブルー』のエンディングテーマだった縁でカバーした。
  • BAD BOY BLUES (原曲はハウンド・ドッグ)
  • Sister Christian (原曲はナイト・レンジャー)
  • You Give Love A Bad Name (岡本ソロ。原曲はボン・ジョヴィ)
  • 細胞愚
  • 悪想急
  • 他・・・

イントロやリフが似てると言われている楽曲

  1. 『ルート17』 − 『Body Talk』 by, Ratt
  2. 『ロックよ静かに流れよ 〜Crossin' Heart〜』 − 『Love Bites』 by, Def Leppard
  3. 『LONELY...』 − 『Never Say Goodbye』 by, Bon Jovi
  4. 『明日への暴走』&『熱くささやかな叫び』 − 『You Give Love A Bad Name』 by, Bon Jovi
  5. 『Break The Law』 − 『Kickstart My Heart』 by, Motley Crue
  6. 『REIKO』 − 『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 by, ダウン・タウン・ブギウギ・バンド (オマージュ)
  7. 『Party』 − 『My Sharona』 by, The Knack (オマージュ)
  8. 『ROLLIN' IN THE DARK』 − 『Doom and Groom』 by, The Rolling Stones (2012年発表曲)

ビデオ・DVD

  1. Made in U.S.A (1987年8月3日)
  2. BEST FRIEND (映画『ロックよ、静かに流れよ』のメイキングビデオ。1987年12月16日)
  3. Xing point (1988年2月18日)
  4. 少年武道館 〜 少年御三家・新春一番歌いぞめ (1988年3月18日)
  5. 少年武道館U (1988年10月30日)
  6. ENDLESS TRIP (1989年9月6日)
  7. HELLO!! L.A.
      (1989年。グリコ「アーモンドチョコレート」のCMメイキングビデオ。非売品)
  8. 男闘呼組 BIG TOUR ’89 in DOME
       (@東京ドーム。78分。ビデオ:1989年11月21日、DVD:2003年11月26日)

       

  9. 男闘呼組 2,050,000秒の軌跡 (1990年8月24日。55分)

       

  10. 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.1 (1991年4月4日 @横浜アリーナ)
        (55分。ビデオ:1991年7月21日、DVD:2003年11月26日)

       

  11. 男闘呼組 LIVE IN YOKOHAMA 1991 vol.2 (1991年4月4日 @横浜アリーナ)
        (55分。ビデオ:1991年7月21日、DVD:2003年11月26日)

       

  12. 彼らと僕・私と自分はみんな仲よし (1992年11月1日。60分)

       



写真集

  1. East meets West (1988年、ポニカ出版)
  2. ロック派宣言 LIVE ライヴ らいぶ (1988年、音楽専科社)
  3. BREAK THE SILENCE (1989年、音楽専科社)
       成田昭次の兄の姿も掲載。 別冊付録のバンドスコア付き。
  4. NON STOP GETAWAY (1990年、音楽専科社)
  5. ROUGH EDGES (1991年、音楽専科社)




東京

1984年12月に成田、高橋、岡本の3名で結成された男闘呼組の前身バンド。 間もなくして遠藤と守屋が参加。 その後、「東京男組(とうきょうおとこぐみ)」と名乗る時もあり、その場合のみに前田がサポート参加。
当初は7人編成のバンドにする予定だったが、紆余曲折の末に、4人編成の「男闘呼組」となった。 詳しくは「概要」の欄を参照。


メンバー

  • 成田昭次 (リードギター)
  • 高橋一也 (ドラム)
  • 岡本健一 (リズムギター)
  • 遠藤直人 (リズムギター)
  • 守屋二郎 (ベースギター。特技:テニス)

サポートメンバー

  • 前田耕陽 (「東京男組」と名乗る時のみに参加)

候補メンバー


出演CM

  • 明治製菓 「アーモンドゴールド」 第1弾バージョン (1985年2月 - )
       成田、高橋、岡本、遠藤、守屋の5名で出演。

オリジナル曲

  • 誠 ほれたぜ
      作詞:野村義男&荒木とよひさ、作曲:曽我泰久。  明治製菓「アーモンドゴールド」CMソング。 現在までに一切ソフト化されていない幻の楽曲。



でたらめロックバンド

1984年の夏に結成されたプライベートバンドで、上記の「東京」よりも更に前身に当たる。

メンバー

  • 成田昭次 (ギター)
  • 高橋一也 (ドラム)




脚注

  1. ^
  2. ^
    当時ジャニーズJr.だった山崎正人が、合宿所にてその一連の現場を直接目撃している。 詳細は、山崎が「木山将吾」名義で上梓した告発本『SMAPへ 〜 そして、すべてのジャニーズタレントへ』に記載。


外部リンク








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