メッツ - ジャニーズ百科事典
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メッツ


メッツとは、1975年にジャニーズJr.出身のメンバーたちによって結成された男性アイドルグループである。 バーニングプロダクションからデビューした。(その後「カワダブラザースカンパニー」から再デビュー)

前身グループは、「ジューク・ボックス・ジュニア」 → 「ジャニーズ・ジュニア (第1期生)」 → 「ジャニーズ・ジュニア・エース」の順で変化。


目次



メンバー

第1期 (1975年2月 〜 1976年12月29日)

  • 山縣孝良 (愛称:タカ坊)

       

  • 小坂まさる (本名:小坂勝秀、愛称:マチャル & ヒデ坊)

       

  • 近藤純市 (愛称:ジャンボ)

       

  • 鈴木寛 (愛称:ヒロ坊)

       

  • 吉田義久 (愛称:ヨシ坊、ヨシちゃん、よしだクーン)

       

  • 柏木孝夫 (愛称:タカちゃん)

       


第2期 (1978年 〜 1979年)

  • 小坂まさる (ボーカル&タンバリン担当)
  • 柏木孝夫 (ベースギター&コーラス担当)
  • 鈴木寛 (リズムギター&コーラス担当)
  • 砂野誠一
      いさの せいいち。 本名:砂野誠一郎。 1958年11月10日生まれ。 B型。 愛称:せいいち。 元々はアイドルバンド「ジェット」のメンバーで、CBSソニーより『移り気な青春』でデビューした。  二期目からメッツに参加したため、ジャニーズ事務所の出身者ではない。 ボーカル&ドラム担当。[1]
  • 青山浩一 (後の江蔵浩一 〔えぐら こういち〕)
      AB型。 愛称:こういち。 上記の砂野と同じく、元「ジェット」のメンバー。 二期目からメッツに参加したため、ジャニーズ事務所の出身者ではない。 リードギター&コーラス担当。 [1]


概要

  • 1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア 第1期生」が、2つのグループに分割された。 一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組(板野、林、山縣)で、「ジュニア・スペシャル」という新たなグループ名が与えられた。  残りの6名(小坂、近藤、畠山、鈴木、吉田、柏木)は、特に新しいグループ名は与えられず、元の「ジャニーズ・ジュニア」名義のままで郷ひろみのコンサートのバックを務めた。
    この人事に小坂は、「“ジュニア・スペシャル”の方が選び抜かれたメンバーの様に聞こえる」とか、フォーリーブスの北公次を尊敬していたために「フォーリーブスの方のバックで踊りたかった」などの不満を抱くようになっていた。
    そして、夏のコンサートを終えた1974年9月、ついに小坂は近藤と共にジャニーズ事務所からの退社を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所からも飛び出した。 そのため、スペシャルのメンバーだった山縣が元のジャニーズ・ジュニア側に異動となり、 同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられるも、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名も脱退&退社してしまい、エースはたったの一ヶ月で崩壊した。
    そして同11月、ジュニアたちが「あにイ」と呼んで慕っていた郷ひろみのバーニングプロダクションへの移籍決定に伴い、退社した6名のジュニア(小坂、近藤、山縣、柏木、鈴木、吉田)、 郷のマネージャーだった川崎淳士、ジュニア 兼 郷の付き人だった「クリマン」こと卯野直敏、 そしてバンド「アニメーション」のドラム・長沢悟なども一斉に移籍することとなった。

  • 郷ひろみにはジャニーズとの契約が1975年3月27日まで残っていたが、6名のジュニアには正式な契約というものが無かったので、一足先にバーニングへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成。 1975年2月23日、大阪の枚方市民会館にてステージデビューした。
    その後、しばらくは郷ひろみのバック(『花のように鳥のように』など)に付いて「Go & Mets」として活動していたが、同年11月25日、テイチクレコードのサブレーベルだったユニオンレコードより『レディ・レイは最高さ!』で晴れてレコードデビューを果たした。 キャッチフレーズは「ダイナマイトメッツ」。
    一方、「ジュニア・エース」からただ一人だけ移籍せずに事務所に残った畠山昌久、そして「ジュニア・スペシャル」の2名(板野、林)は、新たに「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」(通称:JJS)を結成し、メッツよりも9ヶ月早い1975年2月21日の時点でレコードデビューを果たしている。
    尚、JJSとメッツに分裂後も、畠山、小坂、山縣、近藤の4名はしばらく同じ堀越高校に通っていたが、1975年3月で小坂は転出、近藤は退学(その後、林が転入)。 林、柏木、鈴木の3名も、東京学園高校でしばらく一緒だったが、3名とも転出。 つまり山縣だけが唯一、グループ分裂後もJJSのメンバーと一緒に学び続けた。

  • JJSの方は順調に活躍を見せていたのに対し、移籍組のメッツは人気が振わず、地方のスーパーマーケットの新装開店時に呼ばれて歌を唄ったこともあった。
    メッツはリーダーを作らない合議制のグループだったが、これが裏目に出てしまい、メンバー間で方向性の違いが生じてもまとめる役がおらず、1976年12月29日に港区白金台の結婚式場「八芳園」で行われた「メッツ解散さよならパーティー」を以って解散した。

  • その後は小坂まさるがソロで芸能活動を行なっていたが、しばらくしてから元メンバーの柏木と鈴木、更に、郷ひろみのバックで踊っていた砂野と青山(2人ともアイドルバンド「ジェット」の出身者)を迎え、楽器を持った5人編成のロックバンドとして「メッツ」を再結成した。
    (ファンの間では“新メッツ”や“ニュー・メッツ”などと呼ばれている。 尚、第一期メッツにも、楽器を持ってバンドスタイルだった時期があった)
    所属事務所も「カワダブラザースカンパニー」、レコード会社も「RCAレコード(後のBMG JAPAN)」に変わり、1978年10月に再デビューを果たしたが、やはり人気は終息する一方で、翌1979年には再び解散してしまった。

    尚、アイドルバンド「ジェット」は、砂野誠一(ドラム)、青山浩一(ギター)と、元「MMP (ミュージックメイツプレイヤーズ)」のメンバーであった2人・山田直毅(ボーカル&ギター)と柴崎秀一(ベース。2005年に他界)の計4人組で、1976年11月1日にCBSソニーから『移り気な青春 c/w 突然の夜』でデビュー。TBS「ぎんざNOW!」にもレギュラー出演していた。
        


エピソード

  • グループ名の「メッツ」は、メジャーリーグの「ニューヨーク・メッツ」からもじり、郷ひろみが命名した。 ちなみに郷ひろみのバックバンドには「4 JETS」と名付けた。 (後にメンバーが増加し、「4 JETS+2 (フォージェッツ プラス ツー)」→「スーパーJETS」へと進化)

  • ファンによる親衛隊も多く誕生した。代表的なグループは、黄色いハッピの「ガッツメッツ」(東京と大阪に存在した。メッツがまだジュニアだった頃の名前はただの「ガッツ」)、 黒いハッピの「ブラックメッツ」、水色ハッピの「VIVAメッツ」、ピンクのハッピの「たかちゃんを狙え!」(柏木孝夫個人の親衛隊)、そしてオレンジのタンクトップの「ラブリーメッツ」(東京と大阪に存在した。大阪は8人グループ。ジュニア時代の名前はただの「ラブリー」)、「SHINE METS」など。

  • メンバーの中では小坂まさるが常に中心的な目立つ存在だった。 雑誌『近代映画』(1974年7月号)で、林寛子、フィンガー5の玉元晃と3人で表紙を飾った他、『週刊セブンティーン』でも、森昌子と学生服姿でのツーショット対談をしている。 また、当時の雑誌のインタビューで「俺は芸能界で一番喧嘩が強い!」と豪語していたこともある。


解散後

  • 小坂まさるに関しては本人の項目を参照。

  • 近藤純市は脱退後、大学に進学。劇団に入ったりもしていたが、後に故郷の広島市に帰郷。 そして有名な飲食店グループのプロデュースをしたり、1982年には広島市中心部にディスコ『広島DISCO サンタモニカ』(通称:サンタ)をオープンさせる。(広島市中区新天地1-20 広島帝劇会館 2F&3F)
    当時の広島には、
    • CHICHIPAPA (チチパパ。1977年オープン。中区本通1-19 ファイブビル3F)
    • BB
    • インディペンデントハウス広島(通称:インデ。中区新天地2-10 広島宝塚会館6F) → 後に「塔克拉瑪干 (タクラマカン。1984年閉店)」 → 更に後に「Cote-d-Azur」(コートダジュール。通称:コート)
    • サザンクロス
    • リップスティック (通称:リップ)
    • THE MAXIMS (通称:マキシム。1981年3月18日オープン。中区袋町7-1 並木ビル3F)
    • ブルームーン
    • ファンキーファンク
    • R&B CLUB JAZZ FIVE (通称:ファイブ。1967年6月オープン。中区鉄砲町6-7 槌本ビルB1)
    • G
    • シャトレーヌ (通称:シャト。中区新天地1−9 新天地レジャービル内)
    • キサクラブ (通称:キサ。 後に「シェルター・D・キサ」に改名)
    • ライトハウス
    • ナファービス (通称:アービス。中区袋町7-1 並木ビル内)
    • ナファービスU
    など、多数のディスコがあったが、その中でもサンタモニカはフリースタイル・ディスコの草分けとして大きな人気を得た。
    1988年にサンタモニカは閉店し、同地はマハラジャグループのディスコ「キング&クイーン」(通称:キンクイ)となった。
    サンタモニカを閉めた近藤は、妻子と共に渡米。 ロサンゼルスでガイド業に携わりながら、DJとしてHIP HOPのサンプリング作業を行なったり、セレブ・コーディネーターとして活動していた。
    1990年代に入ると、今度はスペインのバルセロナへ移り住み、スペイン料理の修行をする。  そして日本へ帰国後、妻と共に広島市内にスペイン料理店「ラ・カンペシーナ」をオープン。 2000年代前半に一度移転し、2000年代中頃に閉店した。 店の看板には「ジャンボの店」と書かれてあった。 (広島市中区鉄砲町7-5 藤岡ビル 2F → 広島市中区幟町7-7 コーポいづつ 1F)

  • 山縣孝良は某有名ホテルチェーンに長年勤務。

  • 柏木孝夫は、渋谷区千駄ヶ谷にあるアパレル関係の会社で企画の仕事をするかたわら、同世代の男性アイドルグループ「レモンパイ」のメンバーや、第二期メッツのドラムだった砂野誠一らと共に、バンド「JU T'AIME (ジュテーム)」を2007年5月に結成し、ボーカル&ベース、及びジュテームのロゴデザインを担当。 尚、2008年3月に六本木で行われたジュテームのライブには、山縣孝良と板野俊雄の二人がサプライズゲストとして登場している。  2010年夏に、新バンド「J.S.&T.」を結成。

  • 鈴木寛は、グループ解散後に金子美香、MIE、小比類巻かほる、河合その子、浦田千尋といった女性アーティストたちのレコーディングアレンジやコンサートのサポートを行なっていた。 その後は氏名を一部変えて、一般企業に勤務。

  • 青山浩一は、グループ解散後に本名の「江蔵浩一 (えぐら こういち)」に改名。 そして、1980年に元祖和製ガールズパワーポップ&ニューウェーブバンド「Pinups (ピンナップス)」で、ビクターインビテーションからデビューした。

    • 1stシングル 『あなたにオーバーヒート c/w ドクター,ドクター,』
        (1980年、2曲とも江蔵が作詞・作曲。 元「ハルヲフォン」の高木英一プロデュース)
    • 2ndシングル 『抱きしめてBABY! c/w ドキドキ』
        (1982年、近田春夫プロデュース。 2曲とも、1983年6月公開のにっかつロマンポルノ『セーラー服・百合族』で挿入歌として使われた)
    • 1stアルバム 『Pinups』
        (1981年。 江蔵が全ての作詞作曲を担当。プロデュースは高木英一。 1990年にCD化)
    • 2ndアルバム 『抱きしめて ! !』 (1982年6月、近田春夫プロデュース)

    1982年には、バンド「1193ダイナマイト・ブラザ−ス」にも参加(リリースは無し)。
    その後、渡英を経て音楽プロデューサーとなり、手塚眞の初監督映画作品『星くず兄弟の伝説』(1985年)の音楽制作を近田春夫藤原ヒロシ高木完らと共に担当。 また、KENZI(八田ケンヂ)、「アンジー」、「Rosy Roxy Roller (ロージー・ロキシー・ローラー)」らの作品も手がけた。
    一方で、1980年代にニューウェーブバンド「Fictions Of Romance (旧名:Sensational Fictions)」、 1990年頃にグラムロックバンド「Velvets From The Luna (通称:ヴェッチン)」、 1997年には平間希和子とのニューウェーブバンド「Poodoll & Goodoll (プードル・グッドル)」として活動した。
    その後は音楽学校「学校法人 杉山学園」にてギター&プロデュースの講師に。

  • 砂野誠一は、1982年に5人組のジャズロカビリーバンド「Be-Bops (ビーバップス)」を結成し、コロムビアレコードよりデビュー。ドラムを担当した。 メンバーは、砂野(ドラム)、稲岡弘之(ボーカル)、吉田光(ギター)、津田篤孝(ベース)、安岡清孝(サックス)。

    • シングル
      • Michiko From Tokyo c/w Tokyo Bop Baby (1982年)
      • 午前0時のニュー・ビート・ダンス c/w ビン・バン (1983年)
    • アルバム
      • Be-Bops(1983年2月21日)
      • DANCE TO THE BOP (1983年)
      • BOP JAPON (1984年、オールカバーアルバム)

    バンド解散後はアパレル営業に転職。 また、2007年3月12日に、元「ハイ・ソサエティー」の杉征夫と共に、ライブハウス「音楽食堂 夢弦 (MUGEN)」を三軒茶屋にオープン。  更に同年5月、同世代の男性アイドルグループだった「レモンパイ」のメンバーや、メッツの柏木孝夫らと共に、バンド「JU T'AIME (ジュテーム)」を結成した。  やがてアパレル営業は辞め、夢弦の経営に専念。
    2010年5月26日より個人ブログを開始。  同年夏にはジュテームの後身に当たる新バンド「J.S.&T.」を結成。
    続いて、砂野(ドラム、ボーカル)、柏木孝夫(ボーカル、ベース)、稲岡弘之(元「Be-Bops」。ボーカル、ギター)、黒岩典英(ピアノ)とのバンド「SAYTAKA & HIRO with KUROちゃん」も結成。 世田谷区野沢のミュージック喫茶「Little Brown Jug」を中心にライブ活動を行う。
    2014年10月、更に新バンド「THE MAGIC」を結成。メンバーは砂野(ボーカル、ドラム、カホン)、花岡光二(ボーカル)、矢吹薫(元「銀蝿一家」。ボーカル、ギター)、Take(ベース)、黒岩典英(キーボード)。
    尚、長男の砂野潤は子役としてテレビドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』や『ウルトラマンガイア』に出演後、音楽活動を開始。
    次男の砂野悠(1988年9月19日生まれ)は、「吉本総合芸能学院(NSC)・東京校 第16期生」を経て、2011年4月より「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」にピン芸人・イサノユウとして所属。

  • この他に、東京都中野区でお店を開いているメンバーもいるとのこと。  また、2008年1月には山縣、柏木、鈴木、砂野、板野、林の6名での同窓会が行われ、同年2月10日に六本木アビーロードで行われた柏木、砂野のバンド「JU T'AIME (ジュテーム)」のライブにも、山縣、鈴木、板野の3人がサプライズゲストとして応援に駆けつけている。


主な出演作品

バラエティ番組

  • あなたをスターに! (テレビ朝日) レギュラー
  • ビッグ・ワイド60分 (テレビ朝日) レギュラー
  • 夜のヒットスタジオ (1976年2月9日、フジテレビ) 『レディ・レイは最高さ!』を披露
  • ぎんざNOW! (TBS) ゲスト出演
  • みごろ!たべごろ!笑いごろ! (1976年、テレビ朝日) ゲスト出演

ミュージカル

  • 俺たち仲間より友情
      (1975年8月1日 - 30日、コンサートツアー「’75 サマー・エキサイティング・メッツ」内でのミュージカル)

ステージ

  • デビューステージ (1975年2月23日、枚方市民会館)
  • ’75 サマー・エキサイティング・メッツ (1975年8月30日、日本青年館・大ホール)
  • ザ・ルベッツ&メッツ ジョイントコンサート (1976年1月19日、大阪・毎日ホール)
  • サマー・エキサイティング・メッツ PartU
       (1976年8月13日:岡山市立市民文化ホール、29日:東京霞ヶ関・久保ホール)
  • 大阪・万国博ホール
  • ミニコンサート&サイン会 (1976年10月10日)
       『メッツ音頭』や『君といつまでも』を披露。
  • 阿倍野プール (5人時代)
  • 京都産業会館 (5人時代) ほか多数…


ディスコグラフィ

シングル

第1期メンバー

  • レディ・レイは最高さ! c/w ひとりぼっちの夜 (1975年11月25日)
      A面の原曲はPierre Groscolasの「Lady Lay」。
  • ジュディ・ランラン c/w ママルー (1976年2月25日)
      A面の原曲はThe Rubettesの「Judy Run Run」、B面の原曲はPierre Groscolasの「Mamalou」。
  • ダイナマイト・パーティー c/w 愛する人へのラヴ・ソング (1976年4月25日)
      第1期メッツのシングルA面の中で、唯一のオリジナル曲。 この曲を歌う際には小坂まさるが最後にバック転を披露していた。
  • メッツのシーサイド・バウンド c/w あなた好みの男 (1976年7月25日)
      A面の原曲はザ・タイガースの「シーサイド・バウンド」。
  • オー・ママ・ミア c/w 気になるあの娘 (1976年11月25日)
      A面の原曲はフランスのシンガー・AMERIGOの「O MAMMA MIA」。 リードボーカルは近藤純市。

第2期メンバー

  • エナメル・シックスティーン c/w 真夜中の天使 (1978年10月)
  • TRY ! ! c/w マザー・シップ (1979年1月)

      第2期メッツは、上記2作の他にも『沈みかけた夕陽はまだ赤い』(作詞:加藤日出男、作曲:武市昌久)という曲をテレビ番組などで披露している。

アルバム

第1期メンバー

  • メッツ・アルバム @ (1975年12月20日)

       

  • メッツ・アルバム U (1976年5月25日)

       

  • メッツ・アルバム V (1976年8月25日)

       

第2期メンバー

  • TRY ! ! / メッツ・ファースト (1979年)

       



ムック

  • 近代映画8月号臨時増刊 郷ひろみ&メッツ特集号 (1975年8月、近代映画社)





ジャニーズ・ジュニア・エース

別表記 「ジャニーズ・ジュニアA」 (読み方は同じ)。
1974年9月にジャニーズ・ジュニアから小坂まさると近藤純市の2名が脱退&退社したため、「ジュニア・スペシャル」のメンバーだった山縣が元のジャニーズ・ジュニアに異動となり、同年10月に命名されたグループ。
しかし畠山以外のメンバーが全員、翌11月にやはり退社してしまったため、早くも崩壊。 実質的な活動は何も無いグループだったが、一応、上記「メッツ」の前身に当たる。

メンバー

  • 山縣孝良 (元「ジュニア・スペシャル」のメンバー)
  • 畠山昌久 (後に「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」のメンバーに)
  • 鈴木寛
  • 吉田義久
  • 柏木孝夫



外部リンク








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