ジャニーズ事務所 歴代所属者 - ジャニーズ百科事典
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ジャニーズ事務所 歴代所属者

当項目では、これまでにジャニーズ事務所に所属した歴代の人物を取り上げる。


目次



グループメンバー (Jr.以外)



ソロタレント

ジャニーズ事務所において、
  ・ 最初からソロでレコードデビューした者
  ・ グループの “解散後” や “脱退後” にソロでレコードをリリースした者 (つまりグループ在籍時のソロリリースは除外)
  ・ ソロタレントとしての扱いを受けた者
を記す。
また、ジャニーズ事務所の公式サイト「Johnny's net」が出来てからは、ジャニーズJr.がソロタレントに昇格したかどうかの判断は、Johnny's netにそのタレントの単独ページが開設された場合に、「Jr.を正式に卒業」と当サイトでは見なしております。

ジャニーズ事務所からのデビュー順

  • 中谷良 (「ジャニーズ」解散後、1974年の夏から1年ほどジャニーズ事務所にソロで復帰)

  • 嶺のぼる (1966年の日劇ウエスタン・カーニバルにソロ名義で出演)

  • 江木俊夫

  • おりも政夫

  • 永田英二八田英士

  • 青山孝

  • 行田和彦
      ジューク・ボックス」を脱退後、1972年8月〜9月のミュージカル『僕がうたうとき!』にソロ名義で復帰出演。

  • 内田喜郎

  • 郷ひろみ

  • 田中幸夫

       

  • 葵テルヨシ (旧芸名:浅井あきら。後の葵てるよし

  • 亜井じょう

       

  • 小坂まさる
      当初はソロタレントとして売り出されていたが、途中からグループ枠に入れられた。
      次男の小坂真郷もジャニーズ事務所に入所。

  • 青山信宏 (後の田村幸司

       

  • 森谷泰章 (一時期「森谷あきら」に改名)

  • 井上純一

  • 平岡洋二

       

  • 豊川誕

  • 殿ゆたか

  • 未都由

  • 川ア麻世

  • 赤木さとし

  • 乃生佳之

  • 田原俊彦

  • 近藤真彦

  • 野村義男

  • ひかる一平

  • 薬丸裕英

  • 柳沢超 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 内海光司

  • 正木慎也 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 中村繁之

  • 三好圭一 (俳優専門)

  • 成田昭次

  • 岡本健一

  • 遠藤直人 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 土田一徳 (俳優専門。 後の坂井一徳

  • 高木延秀 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 中村亘利 (「NOBU」名義も併用)

  • 鞆田紀世彦

       

  • 大沢秀高 (俳優専門。 後の藤堂右也

  • 山本淳一

  • 赤坂晃

  • 佐藤敦啓佐藤アツヒロ

  • 中居正広

  • 木村拓哉

  • 稲垣吾郎

  • 草g剛

  • 香取慎吾

  • 佐野瑞樹 (俳優専門)

  • 目黒正樹 (俳優専門。 後の仁科克基。 松方弘樹と仁科亜季子の長男)

  • 滝沢秀明 (「タッキー&翼」解散後に短期間ソロ活動)

  • 屋良朝幸 (やら ともゆき。1983年2月1日生。千葉市美浜区出身)

  • 生田斗真 (俳優専門)

  • 山下智久 (元「オスカープロモーション」の子役)

  • 風間俊介 (俳優専門)

       

  • 長谷川純 (俳優専門。1985年10月29日生。豊島区池袋育ち)

  • 赤西仁

  • 内博貴

  • 浜中文一 (1987年10月5日生。大阪府豊中市出身。B型)

  • 中山優馬


女性タレント

  • 飯野矢住代 (女性第一号タレント)
  • 嶋田じゅん (女性第ニ号タレント)
  • 藤島ジュリー景子 (女性第三号タレント。後に事務所の役員)

  • VIP
    • 河村信子
    • 吉本和子

  • スリー・ヤンキース
    • 橋本美砂子
    • 川崎志津子
    • 松尾貴子

  • オレンジ・シスターズ
    • Judy (本名:吉竹加世子)
    • Sandy (本名:酒井妙。 後の麻生奈津子あさいゆきの
    • Candy (本名:吉川聖美 〔よしかわ きよみ〕)

  • 森光子
      1990年頃に“業務提携”という形で一時所属。 また、2010年1月6日にはシングルCD『人生革命』を、ジャニーズ事務所の自社レーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」からリリースした。 なお、カップリング曲の『人生半ばです』は、作詞:錦織一清、コーラス:滝沢秀明、Kis-My-Ft2。

  • この他にも、1960年代前半には「芸研ジャニーズ」という研修生グループの中に、大原麗子など多数の女性メンバーが存在した。


ジャニーズJr.、研修生



バンド専門メンバー



スタッフ




審査に合格するも辞退した人物

  • 京本政樹
      本名同じ。1959年1月21日、大阪府吹田市生まれ。高槻市育ち。178p、61s、B型。 高槻市立柳川中学校(生徒会長、剣道部初代主将)、大阪府立高槻南高校卒業。 多摩美術大学中退。
      魚屋の息子として育つ。 中学2年生の時、同級生が送った写真がきっかけでジャニー喜多川から直接電話があり、フォーリーブスのコンサートに招待される。 母と共に上京してコンサートを鑑賞したが、京本は当時音楽を始めたばかりで、自作曲を歌っていきたいとの思いからジャニーズ入りを断わった。
      しかしその後、ジャニーズに入らなかったことを後悔するようになり、かつて大阪のABCホールで公開収録が行われていた15分番組『シャボン玉プレゼント』に豊川誕がゲスト出演する度に、京本はリハーサル中の豊川を狙って近寄り、「ジャニーさんを紹介して下さい! お願いします!」と懇願している。
      結局京本のジャニーズ入りは実現しなかったが、後に長男の京本大我がジャニー喜多川からスカウトされ、ジャニーズ事務所に入所している。
      大我のジャニーズ入りのきっかけは、京本一家がハワイ旅行した時の家族写真を、ジャニー喜多川がハワイに行った時に知人を通じて偶然目にし、京本政樹の自宅に電話をかけ、大我本人に対し、「今度KAT-TUNのコンサートを見に来てみない?」とスカウト。 そして2006年5月4日に横浜アリーナで行われたKAT-TUNのコンサートに招待されて観に行った結果、その日にいきなりステージに上げられてデビューを飾り、翌日のスポーツ新聞にも大我の記事が掲載された。


スカウトされただけの人物

ジャニー喜多川からのスカウトを受けるも、入所しなかった人物を記す。

  • 大沢健三郎 (1960年代に活躍した子役。 フォーリーブスのメンバー候補にされていた)

  • ポール池田 (バンド「ザ・スピリッツ」のメンバー。 大沢健三郎と同じくフォーリーブスのメンバー候補にされていた)

  • 菊谷昌弘
      きくたに まさひろ。1954年6月26日生まれ。大阪市福島区出身。大阪商業大学附属高校、大阪商業大学出身。 1969年に地元の大阪にて、ジャニー喜多川より「ジューク・ボックス」の結成メンバーにならないかとスカウトされたが、父親に反対されて加入を断念した。
      その後、菊谷はアイドルバンド「Jeff」のリーダー&ボーカル(愛称:ヒロ)として1974年6月25日にレコードデビュー。シングル3枚、アルバム1枚をリリースし、翌1975年4月20日に解散。 約1年の休業を経て、加瀬邦彦プロデュースによるワイルドワンズの弟分バンド「アイランズ」のボーカルに抜擢され、渡辺プロダクションに所属。 シングル『想い出の渚』で再びレコードデビューした。しかしアイランズはその後、あいざき進也のバックバンドに。
      また、菊谷は沢田研二に憧れていたことから、後に「沢田雅博」の芸名でも活動。 [1][2]

  • 制作会社 「東阪企画」 の会長・澤田隆治 (たかはる) の息子
       空港でジャニー喜多川にスカウトされた。

  • 村田英次郎
      ハイ・ソサエティーの村田勝美の弟。 プロボクサーを経て、大阪府高槻市のボクシングジム「エディタウンゼントジム (株式会社 エディプロモーション)」の会長に。

  • 三ツ木清隆 (1989年頃にテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演した際に告白)

  • 宮脇康之 (後の宮脇健
      自著『ケンちゃんの101回信じてよかった』(2004年、講談社)の中で告白。 ジャニー喜多川に気に入られ、高校生の頃に合宿所に頻繁に通うようになり、そこでバンドを組んだり、当時はまだジャニーズJr.だった近藤真彦や野村義男をパシリに使っていた。 しかし、ある事件をきっかけに自分の荷物を残したままで合宿所を飛び出してしまった。その事件について本人は「まだ言えない」と口を閉ざし続けている。

  • 本田恭章
      シブがき隊と共にTBS『2年B組仙八先生』で芸能界デビューした人物。 通っていた高校もシブがき隊の3人と同じで、明治大学付属中野高等学校(定時制)だった。

  • 椎野孝之
      たのきんトリオの候補メンバー。 当初は近藤真彦ではなく椎野が入ることで、「たのしいトリオ」になるという案が存在した。 椎名は『3年B組金八先生』のエキストラ出演者で、撮影現場で田原俊彦と親しくなった児童劇団所属の俳優。 東京都豊島区東長崎出身。後にバイク事故で死去。  以上、『二丁目のジャニーズ 最終戦争篇』 (原吾一 著、1996年7月、鹿砦社刊)より。

  • 広部俊明
      1965年4月29日生まれ。世田谷区出身。A型。 世田谷区立山野小学校、渋谷区立代々木中学校、日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学文理学部応用物理学科卒業。
      1981年3月3日、代々木中学に通っていた同級生5人でバンド「HOTCAKE」を結成し、ボーカルを務める。
      1982年、高校2年の2学期に、アマチュアバンドによる勝ち抜きコンテストのコーナーがあった音楽番組『踊れバンバン』(テレビ東京。司会:野村義男)に、「HOTCAKE」を率いて出場した際、ボーカルの広部だけがジャニー喜多川からスカウトされたことを自身のブログで告白。 しかし、当時はバンドでのデビューを目指していたために断わった。 その後、バンド名を「夢工場」に改名し、1986年8月5日にレコードデビュー。
      2011年5月5日、約2年の交際を経て、女優の羽田美智子と入籍。 2017年に離婚。 [1][2][3]

  • ジョン・健・ヌッツォ
      テノール歌手。2004年10月22日放送のNHK『スタジオパークからこんにちは』、および同年10月25日放送のTBS『はなまるマ−ケット』にゲスト出演した際、「学生時代に弟と一緒にスカウトされた」と告白。

  • 山口公次Kouzy
      山口達也の7歳下の弟。 1978年7月18日生まれ。B型。
      15歳の時に兄(TOKIO)のLIVEを観に行った際、ジャニー喜多川から「YOU、スケボー乗れる? CM出てよ」とスカウトされた。 しかし親が反対したため、ジャニーズに入ることは無かった (「週刊文春」2011年6月23日号にて本人が告白)。

  • ウエンツ瑛士
      NHK教育『天才てれびくん』でジャニーズJr.の生田斗真、伊東亮輔の2名と共演していたことが縁で、番組卒業後の14歳の時にスカウトを受ける。 しかし、「お笑いが好きだから」という理由で断わった。
      なお、一時引退していたウエンツを芸能界に戻したのは、郷ひろみである。 郷とウエンツは共通の知人が居たことで出会い、当時高校1年生(15歳)だったウエンツを郷がバーニングプロダクションに所属させた。 また、郷とウエンツは出身高校も同じである (日本大学櫻丘高等学校。郷は途中で転出)。


誤報されている人物

  • 森進一
      1947年11月18日生まれ。 「ジャニー喜多川が最初にマネジメントしたのは森進一。 ジャニーが森をスカウトし、渡辺プロダクションにて森をデビューさせた。 その後、アイドルグループ『ジャニーズ』を作って渡辺プロから独立した」との情報が一部で存在するが、これは全ての内容が誤りである。
      森は1965年、大阪の串カツ屋で働いていた時、芸能関係の客から、アイドルグループ「ジャニーズ」の事務所が出来ていると聞き、芸能界に興味を持って上京した。 親戚の家に下宿しながら、同年、叔母に勧められて音楽番組『リズム歌合戦』(フジテレビ)に出場した結果、5週も勝ち抜く(4週説、8週説、優勝説などは全て誤報)。 その才能を、ジャニー喜多川ではなく、審査員をしていた音楽プロデューサーのチャーリー石黒に見出されて渡辺プロ所属となった。
           
      同時に石黒の内弟子となって石黒邸の離れに住み込み、翌1966年6月20日にレコードデビュー。 そしてデビュー直後からは、四谷三丁目の3LDKの部屋にマネージャーと住むようになった。
      一方、「ジャニーズ」の結成は1962年にまで遡り、森よりも早い1964年の時点で既にレコードデビューも果たしている。
      時系列を見比べただけでも簡単に誤りだと分かる話なのだが、「ジャニー喜多川」と「チャーリー石黒」という少し似た語感の名前が混同されてしまい、誤報が広まっていった。 ジャニーが一番最初に手がけた芸能人は、森ではなく「ジャニーズ」である。  確かにジャニーは当初、渡辺プロと業務提携をしながら「ジャニーズ」をマネジメントしていた。 しかし、初めて手がける芸能人「ジャニーズ」を売り込むことに忙しいそんな最中に、ジャニーが森進一を手がけていた期間などは存在しない。
      なお、森進一とジャニー喜多川との交流自体は、森のデビュー当時から確かにあり、後に2人は麻雀仲間となった。 更に森は2人の息子をジャニーズ事務所に入れたり、2003年にはNEWSのデビューシングルにカップリング収録されたバラード曲『ありがとう・今』の作詞を「泉らら」名義で提供。 2015年12月19日には舞台『ジャニーズワールド』にサプライズゲスト出演したりなど、ジャニーズ事務所と森進一が深い関係を保っていることは事実である。 [1][2][3]

  • 小口健二
      おぐち けんじ。 1948年生まれ。 成蹊大学卒業。
      「ジャニーズ事務所で郷ひろみのマネージャーをしていた。 そして郷と一緒にバーニングプロダクションへ移籍した」と言われてしまうことがあるが、小口がジャニーズ事務所に勤務していたことは一度も無い。 小口は最初からバーニングの社員であり、郷をジャニーズから引き抜いた人物である。
      バーニングで郷と「メッツ」をマネジメントした後、1982年3月に独立し、芸能事務所「フロム・ファーストプロダクション」を設立。 関連プロダクションとして「メンズアート」、「レディバード」、「東京シックスプロダクション」、「ACE OF HEARTS」も設立し、本木雅弘大沢樹生高知東生、竹中直人、高岡早紀、北村一輝など、多くの俳優、タレントを育てた。  2007年11月29日、糖尿病により逝去。 59歳没。
      小口は所属俳優たちから非常に慕われていた人物で、本木雅弘も、2008年に映画『おくりびと』で日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞した際、「授賞式では亡き小口社長の写真を懐に忍ばせておいた」とコメントしている。

        家族
      • 小口文子 - おぐち ふみこ。小口健二の年上の妻。 石野真子・いしのようこ姉妹の継母。 宝乃純(石野敦子)の生母。 フロム・ファーストの2代目社長。
      • 小口欽也 - おぐち きんや。小口健二の息子。1979年12月28日生まれ。暁星国際高校、日本大学芸術学部卒業。2008年4月よりフロム・ファーストに入社。 自社ビル「(株)六番町ビレッジ」の代表取締役社長も兼務。

  • 小橋賢児
      1979年8月19日生まれ。 「1994年頃にジャニー喜多川より誘いを受け、ごく短期間ながら研修生としてダンスレッスンを受けていた」と、ファンの間で長らく思われてきた。  これは当時、テレビ朝日で毎週日曜日に行われていたジャニーズJr.のダンスレッスンと同じ時刻に、テレビ局を出入りする小橋の姿が、Jr.のオリキ(おっかけファン)たちによって度々目撃されていたために生じた話であったが、後に小橋本人がTwitterにて否定した。

  • 藤森慎吾
      お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」のメンバー。 藤森は元ジャニーズJr.だったという噂が存在しているが、これは藤森が冗談で「昔ジャニーズJr.でした」と言っていただけであり、実際にジャニーズに居たことは一度も無い。

  • 山中拓磨
      1986年生まれ。
      2017年に芸能事務所「T&Mキャンパニー」を立ち上げ、鶴 未里、桑田ます似、Lys (リス) をマネジメント。
      2018年春に芸能事務所「BBE」にマネージャーとして入社。
      光文社が運営するニュースサイト「Smart FLASH」で2018年6月7日に配信された記事「ブサイクすぎる元ジャニーズ」にて、 「12歳から20歳まで8年間ジャニーズJr.として歌って踊っていた」、「亀梨和也と同期」、「NEWSが結成される際に候補メンバーだった」などと紹介されているが、いずれも虚偽であり、山中がジャニーズに所属していた事実は無い。
      2018年4月には、歌手の ゆゆあおい(結々葵) や、百合ヶ丘(川崎市麻生区)のライブハウス&カラオケBAR「BLACK CAT TIGER 永吉 ROCK'N ROLL HOUSE」なども、山中から寸借詐欺の被害に遭ったことをTwitterで報告している。


逸話を持つ有名人

  • 日高富明
      ヒット曲『学生街の喫茶店』で有名なフォークグループ「GARO」の元メンバー。 愛称:トミー。 1950年2月22日生まれ。1986年9月20日に36歳の若さで自宅近くのマンションから飛び降り自殺。
      豊川誕がまだジャニーズ事務所に所属していた頃、豊川は赤坂に在ったディスコ「ビブロス」によく行っており、そこで出会った遊び仲間が日高だった。 そして日高は豊川を通じてジャニーズ事務所に所属しようと考え、自ら作詞作曲した曲を持ってジャニー喜多川に売り込みに行ったが、日高をジャニーズでアイドルとして売っていくには厳しかったため、不採用となった。

  • 高見沢俊彦
      本名:見澤俊彦。1954年4月17日生まれ。 ロックバンド「THE ALFEE」のメンバー。 ジャニー喜多川からスカウトされたが断わったと言われている。

  • 沖田浩之
      本名:置鮎広之。1963年1月7日 - 1999年3月27日。 竹の子族時代の1980年頃にジャニー喜多川からスカウトされて断わったと言われている。

  • 新田純一
      本名:筒井純一。1963年5月8日生まれ。 1981年、NHK『レッツゴーヤング』で「サンデーズ」のメンバーとしてデビューした頃にスカウトされて断わったと言われている。

  • 石橋保
      1965年9月18日生まれ。 「ジャニー喜多川からスカウトされたが断わった」という説があるが、真相や詳細は不明。

  • ちーやん
      お笑いコンビ「ジャガーズ」のメンバー。 本名:大沼千文(おおぬま ちふみ)。1976年7月8日生まれ。北海道滝川市出身。A型。滝川市立滝川第二小学校、同市立江陵中学校、北海道赤平高校卒業。
      光GENJIの山本淳一のファンだったことから、小学生の時にジャニーズに履歴書を送る。 その結果、書類審査には合格したが、北海道在住で母子家庭だったため、母親に反対されてオーディションには参加しなかった。

  • 青井一樹

      あおい輝彦の長男。 1976年12月19日生まれ。 愛称:イッチャさん。 一時期俳優を目指してプロダクション尾木に籍を置いていたが、結局何の活動もしないままで引退。
      この青井がジャニーズ事務所にも籍を置いていたことがあると、『渋谷センター街・発 超アイドルマル秘FILE』(ジミー 著、2001年10月、コアハウス)に記されているが、真相は不明。 [1]

  • 桑原彰
      くわはら あきら。 1985年4月4日生まれ。横浜市出身。 ロックバンド「RADWIMPS」のリーダー、ギター、コーラス。 身長:166cm。血液型:A型。 神奈川県立荏田高校中退。 音楽学校 MI JAPAN 東京校ギター科卒業。 趣味:ゲーム。 好きなアーティスト:BUMP OF CHICKEN。 好きな飲み物:ポカリスエット。
      学生時代にジャニーズJr.のオーディションに応募し、3次審査まで進むが不合格となった。 本人は「バック転の受け身が取れなくて不合格になった」と語っているが、これはジョークに過ぎない。ジャニーズのオーディションでバック転の審査が行われることは無い。 [1][2][3][4][5]

  • 本郷奏多
      ほんごう かなた。 1990年11月15日生まれ。仙台市出身。O型。 俳優。
      2001年、10歳の時、日本テレビ『あしたのJ』内の企画『全国 目指せ!ジャニーズJr.』の公開オーディションを受けるも、最終選考で落選した。 特技をPRする際は手品を披露した。 [1][2][3]

  • 島田翼
      1996年5月18日生まれ。神奈川県出身。 ダンス&ボーカルユニット「PrizmaX」のメンバー。 血液型:A型。 クォーター (祖父がフランス人)。
      2004年8月12日に、テレビ東京のバラエティ番組『Ya-Ya-yah』内で行われたジャニーズJr.の公開オーディションに参加したが、不合格となった。 [1][2]







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