JOHNNYS' ジュニア・スペシャル - ジャニーズ百科事典
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JOHNNYS' ジュニア・スペシャル

   


JOHNNYS' ジュニア・スペシャル (ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)とは、かつてジャニーズ事務所に在籍していた男性アイドルグループである。 愛称:JJS
グループ名の綴りは、「JOHNNY'S」ではなく「JOHNNYS'」が正しい。 これは、「ジャニー喜多川のジュニア」ではなく「初代ジャニーズのジュニア」という意味を表すため。
1974年夏に結成。 1978年春に解散。 その後、「VIP」という男女混合グループに進化した。

前身グループは、「ジューク・ボックス・ジュニア」 → 「ジャニーズ・ジュニア (第1期生)」 → 「ジュニア・スペシャル」の順で変化。


目次



メンバー

  • 板野俊雄 (リーダー。愛称:トシちゃん。1956年4月26日生まれ)
      山口県徳山市(現:周南市)出身。 血液型:B型。 元・郷ひろみの付き人。 「板野俊雄」と「板野としお」の名義を幾度も繰り返し、芸名が定まらなかった。
      徳山幼稚園、徳山市立徳山小学校、同市立住吉中学校卒業。 山口県立徳山工業高校(後の山口県立徳山商工高校)中退。
      父親はブリキ屋。 兄弟は姉が2人。
      1972年、高校に入学して間もなく、『月刊平凡』でフォーリーブスの付き人募集の記事を読んで応募。 しかし返事が来ず、たまりかねた板野は同年初夏に家出をして上京し、ジャニーズ事務所後援会の門を叩いて入所。 そのまま合宿所に入り、フォーリーブスではなく郷ひろみの付き人となった。 趣味はハム無線。 非常に負けん気の強い性格。
      尚、当時は「1957年生まれ」と公表し、年齢を1歳若く詐称していた。

  • 林正明 (愛称:マーちゃん、ドラキュラ。1958年8月30日 - 2016年5月26日)
      神奈川県川崎市生まれ、横浜市保土ヶ谷区育ち。 川崎市立川崎病院にて、高知県土佐清水市出身の造船技師である父親と、千葉県出身の母親の下に生まれる。  小峰幼稚園(川崎市幸区)、川崎市立小倉小学校(小4一杯まで)、横浜市立新井小学校(小5から)、同市立上菅田中学校(中1は水泳部、中2からバスケ部)、東京学園高校 → 堀越高校出身。 兄弟は3歳下の弟が1人。
      中学時代に「郷ひろみとミュージカルに出てみませんか」という雑誌記事を見て応募し、ジャニーズ事務所に入所。
      尚、横浜市立上菅田中学校の後輩出身者には、元「ABブラザーズ」の松野大介と、元ジャニーズJr.の鹿内和博が居る。

  • 畠山昌久 (愛称:チャーリー、チャリ坊。1958年2月9日 - 2003年5月31日。東京都立川市出身)

脱退メンバー

前身グループ 「ジュニア・スペシャル」 のみに参加したメンバー。

  • 山縣孝良 (愛称:タカ坊、1957年5月4日生まれ、東京都調布市生まれ、府中市育ち)

  • 井上純一 (愛称:ジュン、1958年8月14日生まれ、東京都世田谷区代田出身)
      山縣の脱退後に参加したが、ソロに転向するためにすぐに脱退。 その後は、映画の主役デビューや、ソロレコードデビューなどの活躍をした。

  • 平岡洋二 (愛称:ヨージ、1958年10月2日生まれ、三重県四日市市出身)
      井上の脱退後に参加したが、ソロで売り出されることになり同じくすぐに脱退。


概要

  • 1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア 第1期生」が、2つのグループに分割された。 一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組(板野、林、山縣)で、「ジュニア・スペシャル」という新たなグループ名が与えられた。  残りの6名(小坂、近藤、畠山、鈴木、吉田、柏木)は、特に新しいグループ名は与えられず、元の「ジャニーズ・ジュニア」名義のままで郷ひろみのコンサートのバックを務めた。
    ジュニア・スペシャルに選ばれなかったことに不満を抱いていた小坂は、夏のコンサートを終えた1974年9月に吉田と共に突如、脱退&退社。 そのため、スペシャルのメンバーだった山縣が元のジャニーズ・ジュニア側に異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられるも、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名も脱退&退社してしまい、エースはたったの一ヶ月で崩壊。 エースのメンバーの中でただ一人だけ辞めずに残った畠山はその理由として、「僕はジャニーズ・ジュニアという名前が好きだし、自分はずっとジャニーズ・ジュニアでいたいと思った」と、月刊平凡編集部に対して語っている。
    その後、井上純一がスペシャルに加入して3人に。
       
    続いてエースという母体を失った畠山もすぐに加入し、スペシャルは4人組となるが、すぐに井上がソロに転向するために脱退。 代わりに平岡洋二が加入するが、平岡もソロで売り出した方がいいということになり、やはりすぐに脱退。
    こうした経緯を経て、スペシャルは最終的に「板野、林、畠山」の構成に落ち着いた。
    一方、脱退&退社した小坂、近藤、山縣、鈴木、吉田、柏木の6名はバーニングプロダクションへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成してレコードデビューした。
    尚、JJSとメッツに分裂後も、畠山、小坂、山縣、近藤の4名はしばらく同じ堀越高校に通っていたが、1975年3月で小坂は転出、近藤は退学(その後、林が転入)。 林、柏木、鈴木の3名も、東京学園高校でしばらく一緒だったが、3名とも転出。 つまり山縣だけが唯一、グループ分裂後もJJSのメンバーと一緒に学び続けた。

  • 1975年2月21日、グループ名も正式に「ジュニア・スペシャル」から「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」となり、『ベルサイユのばら』でレコードデビュー。
    同年10月8日に日本劇場で行われた「第5回 銀座音楽祭」にて、熱演賞を受賞。

  • 1976年1月19日、アメリカから来日していたソウルグループ「ザ・スタイリスティックス」の日本武道館公演に、リトル・ギャングと共に出演を果たす。

  • 1976年9月20日より、日本テレビ系の早朝子供番組『おはよう!こどもショー』にレギュラー出演を開始。 「JJSの親子ゲームコーナー」というレギュラーコーナーを持ち、板野がレフェリー、林が紅組キャプテン、畠山が白組キャプテンの役だった。 また、番組内で歌も数曲披露しており、持ち歌には『パイの歌』、『らっぱっぱ』、『またですか?』、『ねずみ小僧次郎吉』などがあった。 同番組には、メリー喜多川の愛娘・藤島ジュリー景子も一緒に出演していた。

  • 1978年春に解散。 その後は男女混合グループ「VIP」として再デビューした(後述)。


エピソード

  • 3人の中では林正明が一番人気があり、社長のジャニー喜多川からも特に気に入られていた。雑誌では、林と手塚さとみ(後の手塚理美)のツーショット対談なども行われている。 また、『月刊明星』の1975年4月号では桜田淳子と共に表紙も飾った。
       

  • ファンによる親衛隊も多く誕生した。代表的なグループは「ガッツ」、「チーパー」など。「ガッツ」は最も大きいグループで、東京と大阪に存在した。 また、ステージ用の応援コールも作られた(「J ・ U ・ N ・ I ・ O ・ R ・ ジュニア JJSファイト〜!」など)。

  • 女優の大島さと子は、かつて林正明の追っかけをしていた。 同じく女優の森公美子も、JJSのファンだったことを公言。 放送作家の山田美保子も、高校・大学時代は林正明の追っかけだった事実を自著で告白している。
    林の訃報が報じられた2016年5月27日の朝、山田は著名人の中で最も早く、Twitterにて哀悼の意を連投。 ハワイ在住の大島さと子を始め、昔の仲間と連絡を取り合って涙したと語った。

  • 1975年のデビューシングル『ベルサイユのばら』(作曲:鈴木邦彦)は、Rick Wakemanの『Catherine Of Aragon』(1973年、作曲:Rick Wakeman)のメロディーをそのままパクった楽曲。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ぎんざNOW!(TBS) 火曜日レギュラー
  • 夜のヒットスタジオ (1975年3月10日、フジテレビ) 『ベルサイユのばら』を披露
  • ハイヌーンショー (1975年3月24日、フジテレビ)
  • ベスト30歌謡曲 (1975年4月9日 - 9月、テレビ朝日)
      レギュラー出演。 司会はおりも政夫、井上順、サミー。
  • NTV紅白歌のベストテン (日本テレビ)
  • 8時だョ!全員集合 (TBS)
  • カックラキン大放送 ! ! (日本テレビ)
    • 1975年5月16日 - 「待ってました五郎刑事」 桜田淳子と共演
    • 1975年9月5日 - 「なに!金賞?」 南沙織、野口五郎と共演
    • 1977年7月8日 - 「スター返上」 石川さゆりと共演
  • チビらサンデー (1976年7月 - 、テレビ朝日)
  • パクパクコンテスト (1976年、よみうりテレビ) ゲスト出演で『サタデー・ナイト』を披露
  • ヤングおー!おー! (TBS)
  • おはよう!こどもショー (1976年9月20日 - 、日本テレビ)

テレビドラマ

  • ボクは恋人 (1974年7月からの参加、フジテレビ)
       JJS結成前のジャニーズ・ジュニア(9人ジュニア)時代の出演作。
  • 志都という女 (1977年、フジテレビ) 畠山がゲスト出演

映画

  • 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年7月20日、東宝 / ジャック・プロ、監督:小谷承靖)
      公開前のタイトルは『僕たちの明日』だった。 JJS結成前のジャニーズ・ジュニア(9人ジュニア)時代にに「孤児院の子供たち役」で出演。 舞台挨拶にも参加した。

CM

  • 味覚糖 「ソフトキャンディ」

舞台

  • ライブ・ミュージカル 『少年たち 〜フォーリーブス・不朽の名作〜』
      1975年4月5日&6日:東京、5月3日:名古屋、4日&5日:大阪。 ジャニー喜多川は、 出演時間は短いが最後に死ぬシーンのある主役(フォーリーブス版では北公次が演じた役)を豊川誕にやるようにと言っていたが、 豊川が「出演時間の長い役(フォーリーブス版では青山孝が演じた役)がやりたい」と、どうしても譲らず、主役は林正明が演じることとなった。
  • オリジナルミュージカルプレイ 『友情』 (「フォーリーブスリサイタル ’75」の中でのミュージカル、1975年)
  • フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVol.1
    『ライブ・ミュージカル 少年たちパートU 〜 青春の光と影 / フォーリーブス・ダイナマイトステージ』
       (1976年3月31日 - 4月7日)
  • おはよう!こどもショー ポケットミュージカル (藤島ジュリー景子と共演)

ステージ

  • 第53回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ばらとみかんとバイオリンと (1975年3月28日 - 3月31日、日本劇場)
  • ジャニーズ・ジュニア ファーストコンサート
       (1975年4月5日&6日:中野サンプラザ、ほか5月5日まで)
  • ’75 サマーキャラバン ジャニーズ・ジュニア・コンサート (1975年7月25日 - 8月16日)
  • 第54回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル (1975年8月27日、日本劇場)
  • 第55回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日、日本劇場)
  • 緑の森のウエスタンカーニバル (1976年6月27日、日比谷野外音楽堂)
       リトル・ギャング、川ア麻世、あいざき進也、レモンパイらと共演。
  • JOE vs JJS + GANGS 1976 サマー・ビッグ・シティ・コンサート (1976年8月9日 - 23日)
  • 第56回 日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日、日本劇場)
  • ジャニーズ・ジュニア Jump up スターパレード’77 (1977年冬)
  • SFゴールデンステージショー (1977年8月15日)
  • ジャニーズ・ジュニア サマー・フェスティバル (1977年夏)
  • JJSショー (1977年11月3日)
  • 桜田淳子ショー (1978年5月7日) ゲスト出演


ディスコグラフィ

シングル

  • ベルサイユのばら c/w 愛しのオスカル (1975年2月21日)
       オリコン最高12位。 売上数:約8.0万枚。
  • 愛のちかい c/w 白鳥 (1975年5月2日)
       最高44位。 売上数:約2.9万枚。
  • さよなら愛 c/w 恋はサフラン (1975年8月21日)
       最高67位。 売上数:約1.8万枚。 両曲とも作詞:山口洋子、作曲:穂口雄右
  • ハートの夢 c/w 感じる夕暮れ (1975年12月5日)
       最高64位。 売上数:約2.0万枚。 B面曲は畠山のソロ曲。
  • 愛の飛行船に乗って c/w 新しい君を知るために (1976年2月21日)
      最高80位。売上数:約0.8万枚。 A面曲は、岡本太郎や矢追純一らが発起人のサークル「100万人の飛行船の会」のテーマソング。
  • サタデー・ナイト c/w JJSのテーマ (1976年4月21日)
       最高83位。売上数:約0.8万枚。 A面曲の日本語訳詞は北公次(実際はジャニー喜多川)。
  • 元気ですか c/w 僕の消息 (1976年5月21日)
      最高61位。売上数:約1.2万枚。JJSの歌唱はA面曲のみ。 B面曲の歌唱は豊川誕
  • サンデー・キューピット c/w 絵本の少女 (1976年7月21日)
  • 太陽のあいつ c/w 焔のカーブ (1976年10月21日)
      このシングルをリリースするに当たり、歌唱指導はあおい輝彦に、振り付けは飯野おさみにしてもらった。
  • 憧れのベイシティローラーズ c/w ダンス・フォーミー (1976年12月21日)
  • ツイスト110番 c/w 片思い日記 (1977年3月21日)
  • ラストショー c/w ネイビーブルー (1977年7月21日)
      A面曲は、近田春夫&ハルヲフォンが1978年6月21日発売のアルバム『電撃的東京』にてカバーした。
  • (シャドー) c/w 命令ママ (しなさいママ)
      両曲とも作曲:長戸大幸。 「06SH-248」の管理番号で、1977年12月10日〜1978年1月10日の間にリリースされる予定だったが、急遽発売中止になってしまった幻のシングル。 しかし2008年になってCDベストアルバムに収録された。

アルバム

  • エンジェル・パワー (1975年9月21日。ポスター付)

       

  • 夢のディスクジョッキー (LP:1976年2月21日、CD:1994年5月21日)
      売上枚数0.8万枚。 オリコン最高29位。

       

  • すてきな恋の招待券 (1976年12月21日)

       

  • 集合!アイドルのすべて JJS ヒット全曲集 THE Best (1977年12月1日)

       

  • ゴールデン☆ベスト JOHNNYS' ジュニア・スペシャル
      (2008年1月23日、ベストアルバム、全25曲)

       

客演アルバム

  • フォーリーブス10周年記念 PART I (1976年7月21日)
      フォーリーブス、豊川誕との共演作。中野サンプラザで行われたコンサートの実況録音盤。

レコード化されていない楽曲

  • 恋のウンブギラー
      1976年6月、「第5回 東京音楽祭 国内新人大会 (シルバーカナリー賞選出大会)」出場のために結成されたリトル・ギャングとのジョイントユニット「ジャニーズ・ジュニア・ファミリー」で歌った曲。 TBS『ぎんざNOW!』でも何度か披露した。 「可愛い子猫ちゃん踊ろうよ」という歌詞で始まる曲で、首の周りにヒラヒラが付いたピエロのような衣装で歌われた。 リトル・ギャングの曽我の高音のソロ部分があったり、曲がスローテンポになる箇所では林正明が曽我を肩車する演出もあった。 ファンの間では名曲と評されるほどに人気が高かったにも関らず、レコード化も著作権登録さえもされていない幻の楽曲。





VIP



VIP (ビップ) とは、「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」の後身に当たり、ジャニーズ事務所の歴史では稀有の、男女混合グループである。

概要

  • 1978年7月21日、ゴダイゴのプロデュースによる『南十字星』でレコードデビュー。

  • 1979年、メンバー同士の恋愛スキャンダルが原因で、林、畠山、吉本の3名が脱退を表明。  そして、1979年5月13日に日比谷野外音楽堂にて、約4時間に渡る解散コンサートが行われた。
    5人組としての「VIP」は僅か10ヶ月で解散したが、その後も板野と河村の2人だけでグループは存続。 そして同年夏にミュージカル『音楽劇 にんじん』に2人で出演したり、1980年にはデュオ曲も1枚リリースしたが、やがて自然消滅した。

メンバー

  • 板野俊雄 (元・JJSのメンバー)
  • 河村信子
      1958年12月9日生まれ。福岡県出身。 身長:158cm、B:80cm、W:58cm、H:87cm。 劇団員からオーディションを受けてVIPに加入。その一方では、漫画家になることも考えていた。

脱退メンバー

  • 林正明 (元・JJSのメンバー)
  • 畠山昌久 (元・JJSのメンバー)
  • 吉本和子
      1959年2月10日生まれ。東京都出身。身長:168cm、B:82cm、W:63cm、H:91cm。愛称:カーコ。 フォーリーブスのファンだったことから加入。 好きなタイプの男性は加山雄三。

主な出演作品

舞台

  • 音楽劇 にんじん (1979年8月2日 - 26日、日生劇場)
      板野俊雄と河村信子の2名が出演。 板野は「板野としお」名義で出演し、女優・三ツ矢歌子の息子でもある小野田真之(後の辻政宏 → 三ツ矢真之)とのWキャストで、フェリックス役を演じた。 河村はその他大勢の村人役。

ステージ

  • VIP 解散コンサート (1979年5月13日、日比谷野外音楽堂)

雑誌

  • 週刊プレイボーイ (1979年2月13日号、集英社)
      河村と吉本の女性2名が、巻グラビアに掲載 (カラー1ページ)。

ディスコグラフィ

シングル

  • 南十字星 c/w たそがれハーバー (1978年7月21日。両面ともミッキー吉野が編曲)
  • 青春にかけろ! c/w 明日に向かって (1978年10月5日)
      オリコン最高位:96位。売上枚数:4千枚。 A面曲はテレビアニメ『新・エースをねらえ!』のオープニングテーマ。 B面曲はエンディングテーマ。
  • きらめきの季節 (とき) c/w おしえて下さい
      (1980年1月10日、板野と河村のデュオ作。 A面曲は、事務所の先輩・あおい輝彦が主演した同名映画の主題歌。B面曲は挿入歌)

アルバム

  • 新・エースをねらえ! 主題歌 (1978年11月、LP)
      全12曲中、「青春にかけろ!」、「いつもの街角」、「歩き疲れて」、「明日に向って」、「気になるお嬢さん」、「おやすみゴエモン」、「愛に包まれて」の7曲を担当。
  • 新・エースをねらえ! Vol.2 (1979年9月、LP)
       「青春にかけろ!」、「明日に向って」の2曲を担当。
  • 新・エースをねらえ! V 音楽集 (1981年1月、LP)
       「青春にかけろ!」、「明日に向って」の2曲を担当。
  • エースをねらえ! 総音楽集 (LP:1988年7月21日、CD:1993年1月9日)
       「青春にかけろ!」、「明日に向って」の2曲を担当。
  • 新・エースをねらえ! (2013年7月31日、CD)
      1978年11月に発売されたLP『新・エースをねらえ! 主題歌』収録の12曲に加え、「青春にかけろ!」、「明日に向って」のオリジナル・カラオケ、VIPのシングル曲「南十字星」、「たそがれハーバー」、「きらめきの季節 (とき)」、「おしえて下さい」をボーナストラックとして収録。


メンバーのその後

  • 板野俊雄は、1980年6月1日から「ジャPAニーズ」に加入したため、その後の詳細はジャPAニーズの項目を参照。

  • 畠山昌久は脱退後に事務所を移籍。 1980年から「畠 真之(はた まさゆき)」に改名して俳優活動を開始した。
    1984年に劇団四季へ入団すると、再び「畠山昌久」の名に戻して活動していたが、しばらくしてから「畠山 久(はたけやま ひさし)」へと改名した。  そして2003年5月31日、転移性胆管癌のため逝去。 45歳没。

  • 林正明は、脱退の1ヶ月後からプライベートでソロのアコースティックライブ活動を数年間続けていた。 また、新宿の居酒屋でも働いていたが、やがて不動産屋の社長の娘と結婚し、男児を一人もうけた。 そして、妻の実家の家業である不動産業を手伝っていた。
    2013年5月18日には、元・VIPの女性メンバー、実川茂、殿ゆたか、川ア麻世、柴谷英樹らと同窓会を開催。 その際の写真が、翌19日付けの川ア麻世のブログで紹介された。 [1]
    2016年5月26日、ゴルフのプレーを楽しんでいる最中、カートを運転している際に急性心筋梗塞となり逝去。 57歳没。  亡くなる前の5月14日には、元気な姿でファンとの飲み会&カラオケ会を開催し、3次会まで楽しそうに参加したばかりだった。
    翌27日に通夜、28日に葬儀、告別式が、横浜市神奈川区東神奈川の金蔵院会館で営まれた。  会場には、江木俊夫、おりも政夫、曾我泰久、小林利男(元・レモンパイ)から供花、柴谷英樹(東真司)、今村良樹(元・ずうとるび)から弔電が届けられ、参列者の中には、板野俊雄、山縣孝良、柏木孝夫、森谷泰章、実川茂、山田美保子、そしてジャニーズ事務所で某アーティストの現役チーフマネージャーをしている男性の姿があった。  また、会場を仕切っていたのはJJS時代の男性マネージャー2人だった。
    そして出棺の際には、多くのファンによってJJS時代の応援コール、「JJSファイト〜!」で見送られた。


外部リンク









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