光GENJI - ジャニーズ百科事典
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光GENJI

光GENJI(ひかるゲンジ)とは、かつてジャニーズ事務所に所属した男性アイドルグループである。 略称:GEN(語尾が上がる発音)、光G、HG、ヒカゲン。
ローラースケートを履いたまま歌い踊るというパフォーマンスで1980年代終盤に一世を風靡。昭和が生んだ最後のアイドルとなった。
1987年5月に、「」と「GENJI」の2つのグループが合体されて結成。 1995年9月3日解散。
グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。


光GENJI
基本情報
活動期間 GENJI
(1987年2月 - 1994年8月31日)

(1987年5月 - 1994年8月31日)
光GENJI
(1987年5月 - 1994年8月31日)
光GENJI SUPER 5
(1994年9月1日 - 1995年9月3日)
ジャンル J-POP
レーベル ポニーキャニオン
事務所 ジャニーズ事務所
メンバー

内海光司 大沢樹生
GENJI
諸星和己 佐藤寛之 山本淳一
赤坂晃 佐藤敦啓
旧メンバー (1987年)
GENJI
田代秀高
候補メンバー (1987年)

山崎正人 阿部直人
GENJI
正木慎也 山崎正人 阿部直人
横山雅巳 石山秀雄 松原一平
松崎優 城島茂 他5〜10名ほど
サポートメンバー (1988年)
敦啓ピープル
中居正広 木村拓哉 岩佐克次 佐藤敬
渡辺一久 米山武志 桑名兼司


目次



メンバー

 (元「イーグルス」のメンバー。1987年5月 - 1994年8月31日)
  • 内海光司 (うちうみ こうじ。1968年1月11日生まれ) 二代目リーダー
  • 大沢樹生 (おおさわ みきお。1969年4月20日生まれ) 初代リーダー

GENJI (1987年2月 - 1994年8月31日)
  • 諸星和己 (もろほし かずみ。1970年8月12日生まれ) センター
  • 佐藤寛之 (さとう ひろゆき。1970年11月2日生まれ)
  • 山本淳一 (やまもと じゅんいち。1972年2月28日生まれ)
  • 赤坂晃 (あかさか あきら。1973年5月8日生まれ)
  • 佐藤敦啓 (さとう あつひろ。後の佐藤アツヒロ。1973年8月30日生まれ)

光GENJI SUPER 5 (後継ユニット。1994年9月1日 - 1995年9月3日)
  • 内海光司 (リーダー
  • 諸星和己
  • 山本淳一
  • 赤坂晃
  • 佐藤敦啓

SAY・S (内部ユニット。1993年 - 1994年)
  • 佐藤寛之
  • 山本淳一
  • 赤坂晃
  • 佐藤敦啓

AKIRA & KOHJI (内部ユニット。別名:とんがりーず。1994年 - 1995年)
  • 内海光司
  • 赤坂晃

GENJI 元メンバー (1987年)

  • 田代秀高
      たしろ ひでたか。1965年10月12日生まれ。元「桜隊」メンバー。 最初期の「GENJI」で短期間ながらリーダーを務めていた人物。但しローラースケートのレッスンは一度も受けていない。 尚、ジャニーズ在籍時は生年月日を「1967年2月9日生まれ」として、若く偽って活動していた。

光 候補メンバー (1987年)


GENJI 候補メンバー (1987年)

  • 山崎正人 (元「桜隊予備軍」)
  • 阿部直人 (元「桜隊予備軍」)
  • 横山雅巳
  • 石山秀雄 (白人とのハーフ)
  • 松原一平 (後に「スケートボーイズ」や「平家派」に参加)
      以上の5名は、アイドル雑誌『POTATO』の1987年4月号(撮影時期は同年2月)でも、後にGENJIとなる5人(諸星、寛之、山本、赤坂、敦啓)と共に「ジャニーズJr.」として登場した。
  • 正木慎也
      あまり知られていないが、正木は少年忍者として活動しながらも、GENJI結成前に後楽園でのローラースケートのレッスンに2回だけ参加している。
  • 城島茂
      当時奈良県に住んでいた城島にも、「ローラースケートのレッスンがあるから興味があれば来なさい」との電話連絡が行っている。 一度も滑ったことが無かった城島は急いでローラースケートを購入し、地元のジャスコの駐車場で自主練習をしたが、全く上達出来なかったため、自信を失って後楽園のレッスンには参加しなかった。
  • 松崎優 (1986年末の最も初期のレッスンに参加)
  • 他、5名〜10名ほど

    また、候補メンバーには該当しないが、「GENJI」が結成され、テレビデビューした1987年春以降にも、ジャニー喜多川によって後楽園でのローラースケートのレッスンに新たに招かれたり、ローラーゲームの試合や、ミュージカル『スターライト・エクスプレス』を観させてもらっていたジャニーズJr.たちも存在する。 佐藤正人桑名兼司橋本久良生中居正広森久典森且行ら。 この他、菅沼貴之はジャニー喜多川から招かれてはいなかったが自主的にレッスンに参加。

    テレビ番組などで、後輩メンバーによって、「長野君 (長野博) もGENJI結成前に後楽園でのローラースケートのレッスンに参加していた」と語られることがあるが、これは誤り。 長野自身が、2007年9月16日放送のNHK-BSプレミアム『ザ少年倶楽部 プレミアム』にて、「ローラースケートを練習してるメンバーが居るって噂は聞いてたけど、俺は全くひっかからなかった」と語っている。

    更に、「中居正広もGENJIのメンバーになりかけていた」とテレビ番組などで語られることがあるが、これも正確には誤り。 中居がジャニーズに入所し、ローラースケートのレッスンに参加した時点では、既にGENJIは存在している。 中居の入所時期に関しては、1987年2月、3月、5月の3つの説が広まっているが、正しくは1987年5月。(『POTATO』1988年5月号より)
    尚、赤坂晃は後から遅れてGENJIに加入しているが、これはあくまでも特例。 そもそも赤坂はジャニーズのオーディションの当日(1987年2月15日。GENJIの結成前)からいきなりローラースケートのレッスンに参加させて貰ったり、ジャニーズ入所直後にもかかわらず、雑誌『POTATO』(1987年4月号。撮影時期は同年2月)にもGENJIの候補メンバーとして掲載されるなど、ジャニー喜多川から非常に気に入られ、特別待遇を得ていた人物だった。

サポートメンバー (1988年)

  • 敦啓ピープル
    • 中居正広
    • 木村拓哉
    • 岩佐克次
    • 佐藤敬
    • 渡辺一久
    • 米山武志
    • 桑名兼司 (木村が欠席した際に代役参加)


リーダーについて

  • 光GENJIのリーダーを大沢樹生だとする文献や報道が多々存在するが、2011年9月23日にイオンモール川口キャラで行われた大沢のトーク&ミニライブイベントにて、司会者から「光GENJIのリーダーでもあった大沢樹生さん」と紹介された際、
    「本当は自分がリーダーじゃなくて内海君だったけど、マスコミの書き方がなぜか俺になっていて、最初は否定していたけど、そのうち否定するのも面倒臭くなってそのままにしている」と述べた。
    しかし、大沢樹生をリーダーだとする文献や報道も、決して間違いという訳ではなく、実際に初期の頃は大沢がリーダーだった。 光GENJIがまだレコードデビュー前の段階で出演したテレビ番組『ブラボー!夢工場』(フジテレビ)でも、大沢がリーダーだとはっきり述べられている。


概要

  • 1986年初頭、ジャニー喜多川が、バラエティ番組『アイドル花組おとこ組』(日本テレビ)のハワイロケに同行した際、ローラースケートで遊ぶ現地の人たちを目にし、アイドルにローラースケートを履かせて踊らせる案をひらめき、構想を練り始める。
    そんな折、ローラースケートを使ったロンドンの人気ミュージカル『スターライトエクスプレス』が、フジテレビの主催とナムコの協賛で、1987年11月より日本でも公演されることが決定。 更に、ジャニーズ事務所のタレント・川ア麻世が同ミュージカルに出演することも決まった。 ここまで条件が揃えば、もうこの機会に便乗する以外に手は無いと考え、新たなアイドルグループを作って、ミュージカルのキャンペーンだと称して割り込み、ミュージカル自体が元々持っていた話題性、宣伝力を利用しながらレコードデビューさせてしまおうと発案。 ジャニーズ事務所は、主催であるフジテレビに顔が利き、所属タレントの川ア麻世もミュージカルに出演するため、キャンペーンに食い込んで便乗することは容易であった。

  • ジャニーはまず手始めとして、1986年の末より、ダンスレッスンに来ていたジャニーズJr.の内、3名〜5名ほどの少人数のJr.をピックアップしてお金を渡し、「これで今から後楽園のスケートリンクに行ってローラースケートを滑ってきなさい」と指示するようになる。 その頃はまだローラースケートの講師も付いておらず、Jr.たちだけで自由に滑って遊んでいるだけの状態だった。
    そしてジャニーは、1987年1月1日に日本武道館で開催された少年隊のコンサート「NEW YEAR CONCERT ’87」の、錦織一清のソロ曲『FRIDAY NIGHT』の場面にて、ジャニーズJr.(諸星和己ら)にローラースケートを履かせ、錦織の後ろを試験的に走行させた。
    続いて、約15〜20名のJr.を集め、ローラースケートの講師も付け、1987年2月14日(土曜日)&15日(日曜日)に、後楽園ローラースケートリンクにて第一回目の本格的なレッスンを行う。 続いて3月半ばの土日に第二回目のレッスン。そして春休みが始まる3月下旬より、火・木・土の週3回、15時〜18時での本格的なレッスンが始まった。 講師は元「東京ボンバーズ」の小泉博、後楽園ローラースケートリンク所属の「ゆうき」、ミュージカルに出演する川ア麻世ら。
    ジャニーはこの時、「『スターライトエクスプレス』のオーディションに向けての練習」との名目でJr.たちを集めた。 事実、当ミュージカルに関連して行われる「ローラーディスコ全国大会」があり、入賞者は、特典としてミュージカルにスタント出演することが出来た。 しかし、ジャニーはその大会にJr.たちを出すつもりなど全く無く、あくまでも、Jr.たちを練習に誘い出す口実に使っただけであった。 「新たなグループを作ってレコードデビューさせる」という本当の目的をジャニーが言わなかったのは、ローラースケートに取り組むJr.たちの素の表情、姿勢を見るためだった。
    同じ頃、ジャニーはデビューシングル用の楽曲制作をチャゲ&飛鳥に依頼する。

  • ジャニーは、2月に行われた第一回目のレッスンを見ただけで、早くも数名をピックアップ。 1987年4月から始まるバラエティ番組『全国歌謡選抜 サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にレギュラー出演する新グループを作るべく、同年2月に田代秀高諸星和己佐藤寛之佐藤敦啓山本淳一の5名を招集した(注:田代だけはローラースケートのレッスンは受けていない)。  しかし、山本は当時中学3年生で受験があったために辞退。残る4名での結成となった。 リーダーは、最もキャリアがあり、最年長の田代。
    この4名でアイドル雑誌『POTATO』(1987年5月号)にて初お披露目されたが、この時点ではまだ正式なグループ名が無く、「ジャニーズJr.の新グループ」とだけ紹介された。  そして同年3月25日、ジャニーは4人に「ライト・イン・シャドウ」というグループ名を付ける。 ジャニーは当時、敦啓を最も売り出したいと考えており、年下の寛之&敦啓を「ライト」、年上の田代&諸星を「シャドウ」にそれぞれ分けたが、諸星がジャニーに「影(シャドウ)になるなんて嫌だ!」と突っぱねた結果、性格の明るい田代&諸星を「ライト」、控えめな寛之&敦啓を「シャドウ」という分け方に変更された。

  • しかしこの直後、ジャニーは新たに2名のJr.(山崎正人阿部直人)を追加したくなる。 そこで歴史が好きなジャニーは、単にメンバーを追加するのではなく、「ライト・イン・シャドウ」を「GENJI」に改名し、山崎と阿部の2人は「」という名の別ユニットとして結成させ、2つを合体して「光源氏」の意味になるようにしようと発案。 この「2 in 1」の形式は、「ライト・イン・シャドウ」でライト組とシャドウ組とに分けていた点からの流用。 更にゆくゆくは、「源氏 vs 平家」の意味にもなるように、平家の名を持つユニットも新たに作って、両者を対抗させるという構想も練った(後の平家蛍平家派)。

  • ジャニーは、1987年4月よりテレビ番組へのレギュラー出演が既に決定していた「ライト・イン・シャドウ」を、すぐさま「GENJI」に改名。まずはこのGENJIのメンバーのみで始動させた。  続いて、山崎正人と阿部直人の2名からなる「光」を合体させようとしていたが、ちょうどこの時、古株Jr.である大沢樹生が、「ジャニーズを辞めさせて下さい」と突然ジャニーに申し出る事件が起こる。 大沢をどうしても引き留めたかったジャニーは、山崎&阿部コンビの採用を中止し、古くから事務所で頑張ってきた大沢、及び内海光司の2名を「光」として結成させ、この機会に一緒にレコードデビューさせてあげようと思い立つ。
    そこで大沢に、「You、ローラースケート興味ある? 興味なくてもやってみない? 絶対スターになれるからやりなよ」と、やはりグループ結成やレコードデビューのことまでは具体的に名言せずに誘い出した結果、大沢と内海もローラースケートのレッスンに遅れて参加するようになった。 もし大沢と内海がレッスンを途中で辞めたりするようであれば、「GENJI」と「光」の合体計画は中止し、そのまま「GENJI」だけでレコードデビューさせるつもりであった。

  • 1987年4月5日より放送開始の音楽番組『全国歌謡選抜 サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』(TBS)に、GENJIの4名がレギュラー出演を開始。 この番組のオープニングでは、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回歌っていた。 但しこの時点ではまだローラースケートは披露していない。
    間もなくして、GENJIに山本淳一が加入して5名に。 その翌週、最年長でリーダーだった田代秀高が脱退させられて、再び4名に(田代だけ、結局一度もローラースケートのレッスンを受ける機会は無かった)。  更にその翌週、赤坂晃が加入して再び5名になり、ここでGENJIのメンバーが最終確定。 この5名で、テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』にも出演した。

  • 同年5月、チャゲ&飛鳥がデビューシングルの『STAR LIGHT』を完成させる。 これを機に、「GENJI」と、「イーグルス」出身の2人による年長組「」を合体させたユニット「光GENJI」を正式に結成。

  • 同年6月、レコーディングよりも先に、簡単な振付けのみでプロモーションビデオが撮影された。ロケ地は渋谷のスクランブル交差点と代々木公園。 この時点でもまだローラースケートは披露していない。

  • 同年6月23日発売の雑誌『週刊セブンティーン』(1987年7月7日号)にGENJIの5名が登場。この雑誌では5名しか載っていないが、グループ名は「光GENJI」として掲載。 これにより、「光GENJI」の名称が初めて世間に公表された。 そして、「8月21日に『STAR LIGHT』でレコードデビュー決定」と紹介された。(その後、デビュー日が変更。実際にデビューしたのは8月19日)

  • 同年6月25日(木曜日)、後楽園ローラースケートリンクにてデビュー会見 & 公開振付レッスンを行う。 ここで初めて、ローラースケートを履きながら歌って踊るグループであることが明かされた。
    ジャニー喜多川がハワイで目にしたローラースケート、 ミュージカル『スターライトエクスプレス』の来日、 そのミュージカルに事務所のタレント・川ア麻世が出演すること、 そして大沢樹生の突然の退職宣言。 これらの条件が重なったことで、「光GENJI」という名前のローラースケートを履いた伝説のスーパーアイドルグループが誕生した。
    (言い換えれば、もし大沢が退社を申し出ていなければ、田代秀高は脱退させられずにデビュー出来ていたことになり、大沢の進退が田代の人生までをも大きく変えてしまう結果となった。詳述は田代の項目にて)
    尚、ジャニー喜多川の当初の案は、ローラースケートを履かせた上で更に楽器も持たせるグループにするつもりだったが、さすがにそれは難しいということで、ローラースケートのみとなった。

  • 同年7月上旬、新宿御苑前の「studio TAKE ONE」にてデビューシングル『STAR LIGHT』のレコーディングを行う。当日は作者である飛鳥涼も同席した。

  • 同年8月1日〜28日、デビューイベント「光GENJI・サマープレゼント」を全国10ヶ所で開催。4万人を動員し、その内、2万8千人とは握手もした。

  • 同年8月19日、ポニーキャニオンから『STAR LIGHT』でレコードデビュー。 キャッチフレーズは“超新星からのメッセージ”。
    また、メンバーのイメージカラーは、内海=青、大沢=紫、諸星=ピンク、寛之=水色、山本=赤、赤坂=緑、敦啓=黄色に決められた。

  • 1988年1月に発売したビデオ『太陽がいっぱい』が約30万本販売。 当時の日本のビデオソフトとしては最大の売り上げを記録した。

  • 1988年6月、フジテレビ開局30周年&ニッポン放送開局35周年記念として、非売品のビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』が制作される。同ビデオは、10万本限定の抽選プレゼントだったが、応募総数は250万通に達した。

  • 1988年度のオリコン年間シングルチャートでは、『パラダイス銀河』、『ガラスの十代』、『Diamondハリケーン』の3曲が1位、2位、3位を独占するという、1978年度のピンク・レディー以来の快挙を成し遂げた。 また、1stアルバムの『光GENJI』も1988年度のオリコン年間アルバムチャートの第1位に輝いている。

  • 1988年から1992年まで、テレビ朝日『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。 その出演数は実に234回を数え、それまでに出演した他の全アーティストの中で最多である。
    しかし、1990年頃から早くもブームは沈静化してゆく。 その要因としては、徐々にアイドルや音楽番組が衰退し、更にはバンドブームという大きな時代の波にも呑まれたこと、ファン層以外では、初期のローラースケートによるパフォーマンスの印象があまりに強すぎて、「光GENJI=ローラースケート」以外の新たなイメージの浸透が進まなかったこと、CHAGE and ASKAより提供された初期の楽曲に比べ、それ以上の良質かつインパクトを残す作品に出会えなかったことなどが挙げられる。

  • 1994年春、メンバー7人全員で事務所の副社長・メリー喜多川の自宅にアポ無しで突然訪問し、解散したい旨を直訴する。しかしメリーに説得され、解散を思いとどまるメンバーが出たり、諸星はソロCDデビューをしていたことによる契約の関係でどうしても残らざるを得なくなったりで、結局、大沢樹生、佐藤寛之の2人だけが1994年8月31日をもって脱退することとなる。  尚、その夏のコンサートツアーでは、脱退劇を良く思わないメリー喜多川の意向により、大沢&寛之の出番はほとんど無くされてしまった。
    メンバーが5名になってからは、グループ名を「光GENJI SUPER 5」に改名して活動。

  • 翌1995年9月3日に解散。(公の場では“解散”ではなく“卒業”と表記)
    この解散コンサートのチケットには、最高で100万円もの値が付き、またそれが実際に売れたという逸話を持つ。
    尚、光GENJI SUPER 5の解散については、諸星とジャニーズ事務所との間に、マネージメントにおける確執(特にギャランティ問題)があったことが、解散の要因の一つであったと、諸星の自著『くそ長〜いプロフィール』にて明かしている。

エピソード

  • 光GENJIの登場は社会現象となり、ファンクラブの会員数は、50万人にも及んだ。 また、ファンたちによる「応援グループ(親衛隊)」も日本全国で作られた。 大阪のグループ「紫SHIKIBU」が最大と言われ、他にも「ピンクシャンパン」、「敦啓宗教」、「ZOO」、「めるしぃぼく」など、数多くのグループが存在した。

  • ローラースケートを履いてのパフォーマンスが話題となり(このほかにも多数のパフォーマンスを披露した)、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた。 ヒットはしなかったが、ファミコンソフトにもなっている(ディスクシステム『光GENJI ローラーパニック』)。

  • ジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、TBS『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。
    また、振り付け、特に初期の楽曲のそれは大変に激しかった為に発汗の量が尋常ではなく、下着を日に2回は取り替えねばならなかったということも黒柳徹子によって番組中で語られた。

  • CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した『STAR LIGHT』、『ガラスの十代』、『パラダイス銀河』などの全盛期の名曲は、後輩たちに歌い継がれているのみならず、ブラスバンドの定番楽曲となり、高校野球の応援や官公署の祝い事などで演奏されることも多い。

  • 寛之、山本、敦啓、赤坂の4人による内部ユニット「SAY・S」(セイズ)は、佐藤(寛)のS、赤坂のA、山本のY、佐藤(敦)のSで、4人それぞれの頭文字を取ってジャニー喜多川によって命名された。

  • 弟分グループ「SMAP」のネーミングについて
      SMAP」というグループ名もジャニー喜多川による命名で、「Sports Music Assemble People」(スポーツ、音楽、集合、人々)を意味する造語である。 SMAPの前身である「スケートボーイズ」のキャッチコピーが、「Sports Music Assemble People」、「SMAP時代のスケートボーイズ」であった。
      しかしこれは後付けによる由来であり、当初の本来の由来は、「GENJIの分身、弟分グループ」という意味で、GENJIのメンバーそれぞれのイニシャルから取られたものだった。
      佐藤のS、諸星のM、赤坂のA、そして山本淳一の小学3年時からの愛称「ンジー」の元々の由来「ンジー (チンパンジーに似ていたから)」のPを合わせて、「SMAP」となった。
      (正確には、山本の小学3年時からの愛称「ンジー」を、ジャニーが「ンジー」と思い違いしていたためにPとなった。 そのため、後から「ンジー」が正解だと知ったジャニーは、 「Youってチンパンジーに似ているから“ンジー”じゃなかったの? 信じられない。 You、今から“ンジー”にして!」 という強引な発言まで山本にしている)
      この、「GENJIのメンバーのイニシャルから取った」という件については、1989年に『週刊マーガレット』誌上にて連載されたSMAPが主人公の漫画『SMAPに夢中』の第1話にて、SMAPのメンバー自身がインタビューで答えている。 また、『週刊女性』2004年11月9日号に掲載されていた「元ジャニーズ事務所メンバー座談会」にて、山本淳一自身も「ジャニーさんからそう聞いた」と証言している。 2016年1月23日放送のバラエティ番組『せやねん!』(MBSテレビ)では、諸星和己も同じく証言した。 更に諸星は同年2月12日放送のバラエティ番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)でも、「スポーツとか、ミュージックの頭文字だとか、違うのよ。俺たちの影武者ってことで、佐藤のS、諸星のM、赤坂のA、山本の(愛称)パンジーのP、それでSMAPなんだよ」と説明した。
      尚、ジャニー喜多川が尾崎豊のことをお気に入りで、尾崎の楽曲『17歳の地図』の英訳「Seventeen's map」から引用したという説も一部で存在したが、それは誤りである。 むしろジャニーは、尾崎のことを強烈に嫌っていた。 少年隊が出演した1988年6月22日放送の『夜のヒットスタジオ』を、原宿の合宿所のテレビでジャニーと忍者のメンバーが一緒に観ていた際、狂ったようにシャウトしながら歌う尾崎の姿を目にしたジャニーが、「うわっ! 何だこいつはっ!」と叫んで気味悪がっていたことを、忍者のメンバーが1993年の後半にラジオ番組『忍者、ナン者、モン者 ! !』で語っている。

ジャニーズ事務所タレントとの関係

  • メンバーにイメージカラーを付ける構成は、後輩のSMAP、V6、KinKi Kids、嵐、関ジャニ∞に引き継がれている。

  • 年長の2人(元イーグルス)を「」、残りの5人を「GENJI」と、一つのグループの中で二組に分けているのが光GENJIの特色だった。 この「2 in 1」スタイルは、後輩グループのV6(20th Century、Coming Century)、Hey! Say! JUMP(Hey! Say! BEST、Hey! Say! 7)、B.A.D.BOYSB.A.D.BOYS)などに引き継がれた。

  • 初期の楽曲『ガラスの十代』と『Diamondハリケーン』でのスケボーのパフォーマンスやバックダンスは、SMAPの前身グループ「スケートボーイズ」が担当した。
    1988年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』で光GENJIが「メドレー (ガラスの十代 〜 パラダイス銀河 〜 Diamondハリケーン 〜 剣の舞)」を披露した際には、SMAPが6人でスケートボードで登場している。  更に翌1989年の紅白歌合戦にも、SMAPはコーラスとして参加した。

  • 『剣の舞』と『地球をさがして』に登場したバックダンサーグループ「平家派」には、野口隆史(後の反町隆史)、古川栄司、坂本昌行、長野博、城島茂、山口達也、国分太一、井ノ原快彦らが在籍していた。

  • 『勇気100%』は、NHK教育テレビのアニメ『忍たま乱太郎』の初代オープニングテーマソングに選ばれ、1993年から2002年まで使用された。またこの曲を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。 2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%』として受け継がれている。

  • ローラースケートはK.K.Kity、Kis-My-Ft.2、HiHi Jetなどが受け継いでいる。

追っかけ

  • ジャニーズ系タレントの例に漏れず、彼らにも「追っかけ」は存在したが、それらファンの熱狂振りは驚異的なものであった。 その当時の状況をリアルタイムで体験したファンたちの中には、光GENJIが最後のスーパースターだという声や、SMAPをはじめとする後輩のどのユニットの人気よりもすごかったと語る者が多い。
    事実、1987年〜1988年の人気沸騰時の勢いは一つの社会現象となって日本中を席捲し、後年のSMAPらには見られなかったほどの爆発的で凄まじいものであった。 メンバーの佐藤敦啓は、実家がツアー旅行の観光ルートに組み込まれるという体験もしたと自伝本で語っている。

  • ブーム真っ只中の1988年当時、最年少のメンバー2人は中学3年生で、プライベートで学校の修学旅行にも参加したが、これも大変なものとなったことで知られる。
    行き先である京都には大量の追っかけの他、「一発屋」と揶揄された特ダネ狙いのパパラッチまでもが出没する有り様で、行き帰りの京都駅や東京駅の構内でも、メンバーを一目見ようと数百人以上のファンが待ち構えており、それを警備のために動員された多くの駅職員や鉄道警察隊が必死に制止するという凄まじい状態であった。
    宿に入ってからも、外出時のメンバーの安全を確保するため、ダテ眼鏡や帽子で変装させたり、外出先についての虚偽情報をファンたちに流したり、更には影武者までもが使用された。
    帰路の東京駅でも、押し寄せたファンのために新幹線ホームからの移動すらままならず、時には郵便物の搬送などに使われる業務用通路を通って駅から脱出するという状態であった。 この模様の一部は、当時の歌番組でも放映された。
    また、人気絶頂期のバレンタインデーには、4tトラック(10tトラック説は間違い)45台分ものチョコレートが全国から届き、トラックが事務所に到着する映像が、やはり当時の歌番組で流されている。

労働基準法

  • 光GENJIはその爆発的な人気のあまり、「法律を変えたアイドルグループ」としても知られている。
    光GENJIはデビュー当初、赤坂と敦啓の2名が「労働基準法61条5項」により、基本的に夜8時以降〜翌朝5時までテレビ番組への生出演ができないとされていて、夜8時以降に放送されていた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に、メンバー全員で出演したりしなかったりという曖昧な状況が続いていた。 出演しない場合は、 「歌の部分のみ事前収録する」、 「メンバー5人が歌っている生映像に出演できない2人のVTRを合成する」、 「当時バックで踊っていたSMAPの中居、木村が代わりに入る」などの工夫をしていた。 (労働基準法に関しては、伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演できなかったというエピソードがある)
    こうした状況に対し、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで、管轄する労働基準監督署が1988年6月にジャニーズ事務所へ調査に入った際、 「報酬面」、「税法上の取り扱い」、「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、 メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した。 さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、 芸能人において一定の条件(「他人によって代替できない“人気”等、当人の個性が重要な要素となっている」、「契約形態が雇用契約でない」など) を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という結論になり、 1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」、「光GENJI通達」、昭和63年7月30日、基収355号)が出され、 それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。
    この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検が発生した。 (当時15歳の女性タレント・大森玲子がラジオの深夜生放送に出演した際、所属事務所のホリプロと放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、 労働基準監督署は「労働者に該当する」と判断したため、大阪府警察がホリプロと毎日放送の社員を労働基準法違反の疑いで書類送検)
    ジャニーズ事務所所属の未成年タレントの深夜労働を合法化していた「芸能タレント通達」が、歌手デビューもしていた大森玲子に及ばないのは理不尽だということで一部からは批判も出た。  そして、この件について2000年4月13日に行われた「第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号」で取り上げられたことなどが契機となり、 各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている。


主な出演作品

※ ソロ出演作は各メンバーの項目に記載。

バラエティ番組

  • 全国歌謡選抜 サブロー・シローの歌え!ヤング大放送 (1987年4月5日 - 9月27日、TBS)
      番組開始当初は「GENJI」のみのレギュラー出演だったが、途中から「光」も交えた7人全員で出演するようになった。
  • ロッテ歌のアルバムNOW (TBS)
  • ヤングスタジオ101 (NHK総合)
  • ヤンヤン歌うスタジオ (テレビ東京)
  • ブラボー!夢工場 (1987年8月10日、11日、13日、フジテレビ)
  • 歌え!アイドルど〜む (テレビ東京)
  • スーパージョッキー (日本テレビ)
  • 歌のトップテン (日本テレビ)
  • ザ・ベストテン (TBS)
  • 夜のヒットスタジオ (フジテレビ) 総出演回数:39回

       

  • ミュージックステーション (テレビ朝日) 出演回数「234回」は歴代最多記録
  • あぶない少年 番外編 (1987年、テレビ東京)
  • 徹子の部屋 (1987年11月23日、他、テレビ朝日)
  • NEW YEAR SPECIAL 光GENJI伝説 (1988年1月1日、テレビ東京)
  • あぶない少年U 番外編 (1988年、テレビ東京)
  • あぶない少年 1周年 (1988年10月5日、テレビ東京)
  • 森田一義アワー 笑っていいとも! (1993年3月17日、フジテレビ) - SAY'S
       「テレフォンショッキング」ゲスト
  • ’88 光GENJIスペシャル NGもあるA級保存版 (1988年12月26日、テレビ朝日)
  • アイドル共和国 (テレビ朝日)
  • 晴れたらイイねッ! (フジテレビ) - 内海、山本
  • アイドルオンステージ (NHK-BS2)
      光GENJI自体も出演していた番組だったが、1995年8月6日からは内海が司会に抜擢された。
  • クイズ☆スター名鑑 (2016年11月27日、TBS)
      解散後に最も多くメンバーが再集結した番組。 大沢、諸星、寛之、山本の4名がローラースケートスピード対決をした。勝者は山本。

テレビドラマ

連続ドラマ

  • 桃色学園都市宣言!! 「St.月桂寺HighSchool」
       (1987年10月1日 - 、フジテレビ) - 内海、大沢
  • あぶない少年I (1987年10月7日 - 、テレビ東京)
  • あぶない少年II (1988年1月6日 - 、テレビ東京)
  • あぶない少年III (テレビ東京) - 赤坂、敦啓
  • ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD (フジテレビ) - 内海、大沢

単発ドラマ

  • 歌謡ドラマ 「素直にI'm Sorry」 (1988年11月23日、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』内でのドラマ)
  • スターライト・キッズ 〜新・北斗七星伝説〜
      (1988年10月11日、TBS・火曜ロードショー特別企画 光GENJIドラマスペシャル)
  • 源義経 (1990年1月1日、TBS) - 内海、大沢、諸星
  • 若さま侍捕物帖 〜 陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密
       (1991年1月2日、テレビ朝日) - 内海、敦啓
  • 光GENJI殺人事件 (1991年3月30日、日本テレビ)
      バラエティ番組『大マジカル頭脳パワー ! ! スペシャル』の推理クイズコーナー「マジカルミステリー劇場」のドラマ。
  • 非行少年たち (1992年10月15日、日本テレビ・ドラマシティ ’92)

映画

  • 少年武道館 (1988年2月20日、東宝)
  • ロックよ、静かに流れよ (1988年2月20日、東宝) 友情出演
  • ふ・し・ぎ・なBABY (1988年12月18日、東宝)
  • これから物語 〜少年たちのブルース〜 (1988年12月18日、東宝) - 内海、大沢

ラジオ

  • 光のスターライトキッス (1987年10月12日 - 1991年4月、ニッポン放送) - 光
  • GENJI GENKI爆発 ! !
      (開始前の仮タイトルは『GENJI爆発百点満点』だった。1987年10月17日 - 1991年4月5日、ニッポン放送) - GENJI
  • All about 光GENJI (1991年4月8日 - 1993年4月2日、ニッポン放送) - 光GENJI

CM

  光GENJI
  • ミュージカル「STAR LIGHT EXPRESS」スポットCM
       (「レッスン編」&「スター誕生編」、1987年7月 - )
  • ワーナーパイオニア 「STAR LIGHT」
  • ’88 ニッポン放送イメージキャラクター (ポスターのみの出演)
  • ゼネラル石油 (1988年10月1日 - 1989年2月14日)
  • 森永エスキモーアイス 「クリスピーナ」 (当初はGENJIの5人だけが出演)
  • 森永エスキモーアイス 「スーパークリスピーナ」 (当初はGENJIの5人だけが出演)
  • 西武園ゆうえんち アイドル共和国誕生篇 (1989年3月17日 - 、関東ローカルCM)
  • ナショナルエアコン 「Eolia」 (1992年 - )
  • ローソン 「ジャニーズワールド」
 
  • 森永エスキモーアイス 「ボングーショコラ」 (1988年4月20日 - )
  GENJI
  • 森永エスキモーアイス 「クリスピーナ」 (1988年4月20日 - 。後に7人全員で出演)
  • 森永エスキモーアイス 「スーパークリスピーナ」 (後に7人全員で出演)
  • 大塚化学 「マイクロマジック」 (1988年7月 - )
  • 不二家 「アメリカンバー」 (1988年9月10日 - )
  • 不二家 「バレンタイン HEART WEEKS」 (スチル広告のみ。1989年2月14日 - 3月14日)
  • 森永乳業 「ワンショット」 (1989年3月18日 - )
  • 不二家 「アメリカンバー2」 (1989年9月30日 - )
  AKIRA & KOHJI
  • ハウス食品 「とんがりコーン・ローストガーリック味」

ミュージカル

  • バンダイスーパーミュージカル 「聖闘士星矢」 (1991年9月1日、青山劇場)
       千秋楽のゲストとして、GENJIの5人が登場した。

NHK紅白歌合戦

  • 第39回 (1988年12月31日) - 『光GENJI ’88メドレー (ガラスの十代 〜 パラダイス銀河 〜 Diamondハリケーン 〜 剣の舞)』
  • 第40回 (1989年12月31日) - 『太陽がいっぱい』
  • 第41回 (1990年12月31日) - 『COCORO』
  • 第42回 (1991年12月31日) - 『WINNING RUN』
  • 第43回 (1992年12月31日) - 『リラの咲くころバルセロナへ』
  • 第44回 (1993年12月31日) - 『勇気100%』


イベント・コンサート

1987年

  • 光GENJI・サマープレゼント 全国10ヶ所 歌と握手会 (1987年8月1日 - 28日)
  • Roller Disco in BUDOKAN (1987年10月19日、日本武道館)

1988年

  • 少年御三家・新春一番歌いぞめ」
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT」 全国3ヶ所8公演
  • 光GENJI 「SPRING CONCERT」 全国13ヶ所26公演
  • 「少年御三家・春の陣」
  • 光GENJI 「SUMMER CONCERT」 全国9ヶ所26公演
  • 「少年御三家・夏の陣」
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT」 2ヶ所9公演

1989年

  • 「BIG EGGコンサート」 2公演
  • 光GENJI 「SPRING CONCERT」
  • 光GENJI 「SUMMER CONCERT」 全国3ヶ所15公演
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT」 2公演

1990年

  • 光GENJI 「SPRING CONCERT '90」 全国5ヶ所25公演
  • 光GENJI 「SUMMER CONCERT '90」 全国3ヶ所12公演
  • 『超アイドル博 in JAPAN』
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT '90」

1991年

  • 光GENJI 「SPRING CONCERT '91」 2ヶ所8公演
  • 『WINNING RUN / サマーステーションキャンペーン』
  • 光GENJI 「SUMMER CONCERT '91」 全国8ヶ所24公演
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT」 2ヶ所10公演

1992年

  • 「SPRING CONCERT '92」 全国3ヶ所13公演
  • 光GENJI 「SUMMER CONCERT 1992」
  • 光GENJI 「WINTER CONCERT」 全国3ヶ所10公演

1993年

  • SAY・S ファーストコンサート
  • SAY・S 「Summer Concert」
  • 光GENJIコンサート 「BOYS in August」
  • 光GENJIコンサート 「BRAVO!NIPPON 〜雪と氷のファンタジー〜」

1994年

  • コンサート 「SAY・S HAPPY ROAD SHOW」
  • 光GENJIコンサート 「ヨーソロー!出航」3公演
  • 光GENJIコンサート 「FOREVER YOURS」 全国3ヶ所12公演

1995年

  • 光GENJI 卒業コンサートツアー 「Bye-Bye for Tomorrow, See You Again, P/S I Love You」 全国3ヶ所10公演


ディスコグラフィ

光GENJI

シングル

  1. STAR LIGHT c/w ROLLING STOCK (1987年8月19日)
       A面曲は通称:スーライ、スタライ。 1987年度オリコン年間順位4位。
  2. ガラスの十代 c/w Graduation (1987年11月26日)
      A面曲は通称:ガラ十。 スケートボーイズ(SMAPの前身グループ)がバックを務めた。 映画『ふ・し・ぎ・なBABY』の挿入歌や、中日ドラゴンズ・立浪和義のルーキーシーズン(1988年)のテーマ曲に使われていた。 B面曲は後にジャニーズJr.がカバー。
      1988年度オリコン年間順位2位。
  3. パラダイス銀河 c/w LONG RUN (1988年3月9日)
      A面曲は通称:パラ銀。 A面曲は作詞曲:飛鳥涼。第30回日本レコード大賞受賞曲。第61回選抜高等学校野球大会入場行進曲。
  4. Diamondハリケーン c/w Welcome (1988年6月21日)
      A面曲はスケートボーイズ敦啓ピープルがバックを務めた。1988年度オリコン年間順位3位。
  5. 剣の舞 c/w 涙の輝き (1988年10月10日)
       A面曲は平家派がバックを務めた。 1988年度オリコン年間順位7位。
  6. 地球をさがして c/w NEW!青春にはまだ早い (1989年3月6日)
      A面曲は振りの一部に手旗信号が含まれており、手旗信号のブームを巻き起こした。 バックは引き続き平家派が務めた。 1989年度オリコン年間順位11位。
  7. 太陽がいっぱい c/w 時をこえたフェスティバル (1989年7月20日)
      A面曲は作詞曲:大江千里で、紅白歌合戦出場曲(バックダンサーにSMAPが登場)。 シングルジャケットは全部で8種類作られた。1989年の第20回日本歌謡大賞と、フジテレビの第18回FNS歌謡祭でいずれも“大賞”を獲得している。 B面曲はフジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌。 1989年度オリコン年間順位4位。
  8. 荒野のメガロポリス c/w PLEASE (1990年2月7日)
      アナログレコードの発売はこの曲が最後。 両曲とも作詞・作曲:飛鳥涼。 この2作の詞の内容は対を成しており、A面曲が絶望的な世界観の中で「愛を投げて 夜を止めて」と訴えるのに対し、B面曲は「愛を投げましょう 夜を止めましょう」と、 希望を見い出す内容となっている。そのため、この2曲はメドレー形式で歌われることが多かった。
  9. Little Birthday c/w な・な・なのなの時間割 (1990年5月17日)
       B面曲はGENJIの5人だけの楽曲。
  10. CO CO RO c/w みつめていたい (1990年8月18日)
      A面曲は紅白歌合戦出場曲。後にV6やジャニーズJr.もカバーした。 B面曲は作詞・作曲:大江千里で、フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌。
  11. 笑ってよ c/w 水彩画 (1990年11月3日)
  12. 風の中の少年 c/w TVの中のHERO (1991年2月7日)
       『ミュージックステーション』で歌った際にSMAPがバックを務めた。
  13. 奇跡の女神 c/w もっと近づきたい (1991年4月26日)
  14. WINNING RUN c/w 熱帯夜 (1991年8月30日)
      A面曲は当時のF1ブームを意識した曲で、紅白歌合戦出場曲。 B面曲は後にKinKi Kids、ジャニーズJr.がカバー。
  15. GROWING UP c/w 若さのゆくえ (1991年11月7日)
  16. TAKE OFF c/w 君にCheer Up! (1992年2月20日)
  17. リラの咲くころバルセロナへ c/w I'LL BE BACK (1992年4月29日)
      紅白歌合戦出場曲。ナショナルエアコン「エオリア」のCMソング。 バルセロナ五輪の応援ソング。
      別歌詞のニューエール・バージョンも存在。
  18. Meet Me c/w クレヨンで描いたタイムマシン (1992年8月8日)
      A面曲の作詞曲はタケカワユキヒデ。 B面曲はSAY・Sの曲で、フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』の挿入歌。
  19. 愛してもいいですか c/w 夢で逢えるから (1992年11月6日)
       シングルのA面曲では初のバラード。
  20. 君とすばやくSLOWLY c/w サヨナラと言えなくて (1993年2月19日)
       A面曲は後にジャニーズJr.がカバー。 B面曲はSAY・Sの曲。
  21. 勇気100% c/w 微笑みをあずけて (1993年5月13日)
      A面曲はNHKの人気アニメ『忍たま乱太郎』のOPテーマであり、 紅白歌合戦出場曲。紅白本番時にスタッフがマイクの音量操作を誤っている。 2002年5月にYa-Ya-yahが、2010年4月11日にはNYCがカバーリリースしている。
  22. BOYS in August c/w 恋する気持ち (1993年8月4日)
  23. この秋・・ひとりじゃない c/w きっと愛しあえる (1993年10月27日)
       限定盤と通常盤の2種で販売。
  24. BRAVO!Nippon 〜雪と氷のファンタジー〜 c/w 君は世界を夢見て (1994年1月20日)
      A面曲はリレハンメルオリンピック「がんばれ!ニッポン!」のキャンペーンソング。 後にジャニーズJr.もカバー。
  25. ヨーソロー!未来へよろしく c/w 僕らのREASON (1994年4月28日)
  26. TRY TO REMEMBER c/w LUNAR PARK-GO-ROUND (1994年7月21日)

   シングル売上推移 (オリコン調べ)

   


アルバム

  1. 光GENJI (限定盤:1988年1月1日、通常盤:1月21日。それぞれジャケット違い)
      初回限定盤(通称:赤盤)は赤色の衣装、通常盤(通称:緑盤)は緑色の衣装を着たジャケットになっている。

       

  2. Hi! (1988年7月28日)

       

  3. Hey! Say! (限定盤:1989年2月20日、通常盤:4月7日。それぞれジャケット違い)
      初回限定盤はGENJIの5人が赤色の衣装、光の2人が青色の衣装になっており、通常版は光が赤、GENJIが青になっている。

       

  4. Hello…I Love You (1989年10月25日)

       

  5. ふりかえってTomorrow (限定盤:1990年1月31日、通常盤:2月28日)

       

  6. Cool Summer (1990年7月25日)

       

  7. White Dreaming with 光GENJI (1990年11月21日。8cmCDミニアルバム。片方だけの靴下付き)
      ジャケット写真は、センターが諸星ではなく敦啓になっている。

       

  8. (333) Thank You (全10曲の限定盤:1991年3月3日、全12曲の通常盤:3月20日。それぞれジャケット違い)

       

  9. ひと夏ひと夜 (1991年7月7日。8cmCDミニアルバム。花火柄の手ぬぐい付き)

       

  10. VICTORY (1991年10月2日)

       

  11. BEST FRIENDS (限定盤:1992年3月4日、通常盤:3月21日。それぞれジャケット違い。2枚組ベストアルバム)
      『STAR LIGHT』から『GROWING UP』までの全シングルA面曲と、『荒野のメガロポリス』のB面曲『PLEASE』を収録。 『荒野のメガロポリス』は、シングル版ではカットされていた2番が挿入され、フルサイズで収録。 Disk2にはカラオケ音源を収録。

       

  12. Pocket Album 〜 7つの星 (1992年7月1日。8cmCDが7枚入ったBOX仕様)

       

  13. DREAM PASSPORT (1992年12月3日)
      初回限定盤のみ、8cmボーナスCDが付いた2枚組のBOX仕様になっている。

       

  14. SPEEDY AGE (限定盤:1993年3月3日、通常盤:3月19日。それぞれジャケット違い)

       

  15. WELCOME (1993年9月15日)

       

  16. 宇宙遊詠 (1993年12月8日)

       

  17. HEART'N HEARTS (限定盤:1994年3月2日、通常盤:3月17日。それぞれジャケット違い。2枚組)
      初回限定盤はBOX仕様で、特典として卓上カレンダーも同梱された。

       

  18. FOREVER YOURS (1994年7月21日)

       

  19. SUPER BEST TRY to REMEMBER (1994年8月2日。3枚組のBOX仕様ベストアルバム)

       

解散後のアルバム

  1. MY これ!クション 光GENJI・BEST (2001年12月5日)

       

  2. 光GENJI All Songs Request (2枚組。2002年10月17日)
       ファンからのリクエスト投票によって選曲された、全31曲。 [1]

       

その他のアルバム

  1. 光GENJI オリジナルカラオケ (1988年6月5日)
  2. 光GENJI オリジナルカラオケ・コレクション (1989年3月21日)
  3. マーチ・コレクション 〜リラの咲くころバルセロナへ〜 (1992年6月19日、運動会用BGM集)
  4. 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンドトラック (1993年7月20日)
  5. 2001 classics 〜 光GENJI オーケストラ・ヴァージョン (1994年8月2日)
      編曲:千住明。 演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団。

   アルバム売上推移 (オリコン調べ)

   


ビデオ・DVD

  1. 太陽がいっぱい (1988年1月16日。2004年5月19日にDVD化)
  2. 少年武道館 〜 少年御三家・新春一番歌いぞめ (1988年3月18日)
  3. 光GENJI ファーストライブ (1988年5月25日。2003年7月16日にDVD化)
  4. あ・き・す・と・ぜ・ね・こ (1988年7月。懸賞プレゼントのみの非売品)
  5. 少年武道館 U (1988年10月30日)
  6. TOKYO DOME CONCERT Hey! Say! 1.15・16 (1989年3月20日。SMAPも出演)
  7. 虹色夏物語 (1990年9月21日。2003年7月16日にDVD化)
  8. ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅 (1991年1月1日)
  9. コンサートであおう! 〜 Yokohama Arena Spring Concert ’91
       (1991年6月21日。2004年5月19日にDVD化)
  10. 独逸旅情 〜 素顔になって (1992年7月17日。2003年7月16日にDVD化)
  11. 7番目の夏 (1993年11月2日。2003年8月20日にDVD化)
  12. ’93 WINTER CONCERT BRAVO! Nippon 〜at YOYOGI NATIONAL STADIUM〜
       (1994年4月6日。2003年8月20日にDVD化)
  13. ジャニーズ・ワールド強力編 〜 光GENJIスペシャル (1994年4月10日、ローソン限定販売)
  14. SUMMER CONCERT ’94 FOREVER YOURS at OSAKAJO HALL (1994年11月18日。2003年8月20日にDVD化)
      1994年夏の、大沢樹生、佐藤寛之の脱退コンサート最終日を、MC、アンコールを含めてほぼ完全収録した作品。 更にラストには映像特典として、SAY・SのPV集「SAY・S CLIPS」も収録されている。
  15. P/S I Love You (1995年8月19日)
  16. Bye-Bye for Tomorrow. See You Again. P/S I Love You ※ (1996年1月、FC限定販売)

ゲームソフト

  1. 光GENJI ローラーパニック
      ファミリーコンピュータ ディスクシステム用ソフト。 ポニーキャニオン。 1989年3月20日発売。 定価:3,200円。 ゲームとしてのクオリティは非常に低く、世間からも「クソゲー」との酷評を受けている作品。

GENJI

ビデオ

  1. な・な・なのなの時間割 (1990年6月21日)

光GENJI SUPER 5

シングル

  1. Melody Five c/w JOYFUL RHAPSODY (1994年10月7日)
  2. DON'T MIND 涙 c/w SHAKING NIGHT (1994年10月21日)
      両A面シングル。 両曲共、テレビアニメ『忍たま乱太郎』エンディングテーマ。
  3. Bye-Bye c/w レディーはそよかぜ (1995年8月2日)

アルバム

  1. Someone Special (限定盤:1995年3月1日、通常盤:3月17日。それぞれジャケット違い)
      初回限定盤のみBOX仕様で卓上カレンダー付き。

       

  2. See You Again (1995年8月19日)
      “卒業アルバム”と称して発売された完全限定盤3枚組アルバム。 「Original Disc」、「Concert Solo and Others Disc」、「Self Selection Disc」の3枚からなる。  事務所の先輩、後輩タレントからのメッセージ、メンバー秘蔵メモリアルスナップ、メンバーによる曲の解説などが付いているスペシャルラストアルバム。 10,194円。

       

ビデオ

  1. Bye-Bye for Tomorrow,See You Again, P/S I Love You
       (1995年12月。ファンクラブ限定販売。収録時間:135分。定価:6,000円)

SAY・S

詳細はSAY・Sの項目を参照。


AKIRA & KOHJI

シングル

  1. MR.MIRACLE (1994年12月8日) オリコン最高15位


CD化されていない楽曲

※ 解散後のソロカバー曲も記載 (但しジャニーズ在籍時に限る)
  • 今、君と歌いたい
      (結成初期のGENJIによるTBS『全国歌謡選抜 サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のオープニングテーマ曲。作詞:秋元康、作曲:井上堯之)
  • どうもありがとう (初期のコンサートでエンディングに歌われていた曲)
  • ひとりぼっちのバースデー (原曲は近藤真彦。 諸星ソロ)
  • 哀しきハイスクール (原曲は近藤真彦。 山本ソロ)
  • ジュリエットへの手紙 (原曲は田原俊彦。 赤坂ソロ)
  • ザ・青春セイリング (原曲は田原俊彦)
  • 危険なメロディ― (原曲は近藤真彦)
  • 初恋 (原曲は田原俊彦。 内海ソロ)
  • 哀しみのレスキュー
  • サクセス・ストリート (原曲は少年隊)
  • 踊り子 (原曲はフォーリーブス)
  • ブルドッグ (原曲はフォーリーブス)
  • ライバルは二度ノックする (原曲は田原俊彦)
  • 本気さBaby (原曲は近藤真彦。 内海ソロ、諸星ソロ)
  • 7th Door 〜7つ目の扉〜 (結成7周年を記念して制作された曲)
  • Shake Again (1994年春のコンサートで披露された曲)
  • MY WAY (原曲はフランク・シナトラ。 諸星ソロ)
  • MEGAMI-YO (原曲は田原俊彦の『女神よ』。 光GENJI、諸星和己&TOKIO、内海ソロの3パターンでカバー)
  • 夏の終わりのハーモニー (原曲は井上陽水&玉置浩二)
  • それは幻の海辺 (原曲は田原俊彦。 赤坂ソロ)
  • MAMA UDONGO 〜まぶたの中に…〜 (原曲は久保田利伸。 山本ソロ)
  • 思い出がいっぱい (原曲はH2O。 山本ソロ)
  • 千年メドレー (原曲は林田健司。 内海ソロ、赤坂ソロ)
  • Crazy Funky Down (原曲は林田健司。 内海ソロ)
  • HOUSE OF LOVE (原曲はシャンプー。 敦啓ソロ)
  • 他多数


書籍

著書

  • 光GENJI全集
      メンバーそれぞれの自叙伝。 全7巻。 1990年8月27日 〜 1991年2月27日。 集英社。 各タイトルは、内海光司「闘志」、大沢樹生「硬派」、諸星和己「根性」、佐藤寛之「勇気」、山本淳一「笑顔」、赤坂晃「自由」、佐藤敦啓「少年」。

写真集

  • Duet特別編集 光GENJIファースト写真集 (1988年12月13日、集英社)
  • 光GENJI 先生のいないホームルーム 〜 光GENJI あきすとぜねこプロジェクト編
       (1989年7月、扶桑社)
  • ジャニーズマガジン特別編集 光GENJI IN HAWAII 僕たちの夏休み
       (ファンクラブやコンサート会場限定発売。 1991年8月。 J-STATION)
  • 光GENJI 超写真集
      光GENJIデビュー4周年記念企画として発売された、BOX入りの個人写真集7冊セット。 定価:4,800円。 1991年8月、集英社。
    • 大沢樹生 - 熱海
    • 内海光司 - 浅草
    • 諸星和己 - 富士
    • 佐藤寛之 - 軽井沢
    • 山本淳一 - 高尾
    • 赤坂晃 - 枝幸
    • 佐藤敦啓 - 湘南
  • ジャニーズマガジン特別編集 光GENJI ルネサンス 僕たちの課外授業 ITALY
       (ファンクラブやコンサート会場限定発売。 1992年7月。 J-STATION)
  • ジャニーズマガジン特別編集 光GENJI 7周年記念 「7×7」
       (ファンクラブやコンサート会場限定発売。 1993年7月。 J-STATION)
  • ジャニーズマガジン特別編集 1994・今…
       (ファンクラブやコンサート会場限定発売。 1994年8月。 J-STATION)
  • JOHNNY'S VISUAL SENSATION (1995年1月23日、オリコン)
       「光GENJI SUPER 5」として掲載。
  • HIKARU GENJI Graduation 〜 Johnny's Magazine special edition
      ファンクラブやコンサート会場限定発売。写真集2冊と、光GENJI7人の衣装の布の切れ端が入ったBOXタイプ。 定価:6,000円。 1995年8月。 J-STATION。


受賞歴

  • 日本レコード大賞
    • 1988年 第30回 日本レコード大賞、日本レコード大賞金賞 - 「パラダイス銀河」
    • 1989年 第31回 日本レコード大賞金賞 - 「太陽がいっぱい」
  • ゴールデン・アロー賞
    • 1987年度 第25回 ゴールデン・アロー賞最優秀新人賞、ゴールデン・アロー賞新人賞(音楽)
    • 1988年度 第26回 ゴールデン・アロー賞話題賞
  • 日本歌謡大賞
    • 1989年 日本歌謡大賞 - 「太陽がいっぱい」
  • FNS歌謡祭
    • 1989年 FNS歌謡祭グランプリ - 「太陽がいっぱい」
  • 日本ゴールドディスク大賞
    • 1987年度 第2回 日本ゴールドディスク大賞
         The Grand Prix New Artist of the Year、The Best New Artist of the Year
    • 1987年度 第2回 日本ゴールドディスク大賞
         The Grand Prix Single of the Year - 「ガラスの十代」
    • 1987年度 第2回 日本ゴールドディスク大賞
         The Best Single of the Year - 「ガラスの十代」、「STAR LIGHT」
    • 1987年度 第2回 日本ゴールドディスク大賞
         The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門 - 「光GENJI」
    • 1988年度 第3回 日本ゴールドディスク大賞 The Best 5 Artist of the Year
    • 1988年度 第3回 日本ゴールドディスク大賞
         The Grand Prix Single of the Year - 「パラダイス銀河」
    • 1988年度 第3回 日本ゴールドディスク大賞
        The Best 5 Single of the Year - 「パラダイス銀河」、「Diamondハリケーン」、「剣の舞」
    • 1988年度 第3回 日本ゴールドディスク大賞
         The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門 - 「Hi!」
    • 1989年度 第4回 日本ゴールドディスク大賞
         The Best 5 Single of the Year - 「太陽がいっぱい」
    • 1990年度 第5回 日本ゴールドディスク大賞
         アルバム賞アイドル部門(男性) - 「ふりかえって…Tomorrow」
    • 1991年度 第6回 日本ゴールドディスク大賞
         アルバム賞アイドル部門(男性) - 「Thank you (333)」
    • 1992年度 第7回 日本ゴールドディスク大賞
         アルバム賞アイドル部門(男性) - 「BEST FRIENDS」


パロディ、派生グループ

  • 光ケンヂ
      伊集院光と大槻ケンヂが、光GENJIのパロディとして名乗ったユニット。
      1989年3月29日に、ラジオ番組『伊集院光のオールナイトニッポン』と『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』が連動し、『ボヨヨン・フェスタ ’89 in 銀スタ』をニッポン放送・銀河スタジオから4時間生放送した。 その際、ジングルにて「光ケンヂのオールナイトニッポン!」とタイトルコールをしていた。 これにより、遊び心が理解できなかった光GENJIファンの少女たちからの抗議が殺到した。
       尚、オールナイトニッポンのファンだった漫画家の秋本治も、自身の作品『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の第67巻・第6話にて、刑事・星 逃田(ほし とうでん)によって散乱した本の表紙に、「光ケンヂ」の名前を書いてネタにしている。

  • 新・光GENJI (後のSHADOW

  • 北京ゲンジ (無法松、お宮の松によるお笑いコンビ。 1994年4月結成、2005年解散)

  • ほたるゲンジ (無法松、桐畑トールによるお笑いコンビ)

  • 微熱DANJI (錦織純平、星屑輝矢、二階堂腱ヂによるアイドルグループ)

  • 紫SHIKIBU (この名称を使ったグループは複数存在した)
    1. 大阪に存在した光GENJI応援グループ(親衛隊)。 日本最大規模を誇った。
    2. ロックバンド「氣志團」のバックダンサーを務めるダンスグループ。
    3. 鈴木信也の漫画作品「Mr.FULLSWING」に登場する架空のアイドルグループ。
    4. テレビ朝日のバラエティ番組『パパパパパフィー』の企画内で結成されたインラインスケートホッケーチーム。
    5. 吉本興業所属のお笑い芸人6人からなる竹馬アイドルユニット。
      • (子持ち組)
        • みっくん - 宮迫博之(雨上がり決死隊)。通称:緑の稲妻。
        • リーゴ - ゴリ(ガレッジセール)。通称:赤い竜巻。
        • しゃっくん - 田中直樹(ココリコ)。通称:黄色いペガサス。
      • SHIKIBU (子なし組)
        • なっくん - 世界のナベアツ(ジャリズム) - リーダー。通称:青い月光。 
        • ほとちゃん - 蛍原徹(雨上がり決死隊)。通称:桃色のフルーツ。
        • ヤマペー - 山下しげのり(ジャリズム)。山下だけ遅れて参加したために、通称は無し。イメージカラーはオレンジ。

  • 光SHINJI (諸星和己と武田真治率いる企画ユニット)

  • 南明奈のスーパーマイルドセブン
      2009年1月にフジテレビ『クイズ!ヘキサゴンU』内で、南明奈をリーダー&メインボーカルとして結成された、 ローラーブレードに乗ったアイドルユニット。他のメンバーは、崎本大海、波田陽区、FUJIWARA(藤本敏史・原西孝幸)、小島よしお、クリス松村で、それぞれにイメージカラーもあった。 同年6月17日にCDデビュー。


外部リンク








出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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