永田英二 - ジャニーズ百科事典
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永田英二

     


永田 英二(ながた えいじ、本名&旧芸名:長田栄二、1955年5月29日 - )は、東京都品川区出身の、音楽プロデューサー、作曲家、芸能プロダクション「(株) オフィス・タッチ」の社長。  ジャニーズ事務所初のソロ歌手。
愛称:英ちゃん英坊。 旧芸名:永田英二八田英士など。
一人っ子。 趣味:車。 特技:ブルースハープ。 品川区立京陽小学校、私立堀越中学校、私立堀越高等学校卒業。

  • 「NPO(特定非営利活動法人) OJPC」 理事
  • 「NPO(特定非営利活動法人) 国際薬物対策センター」が主催する薬物乱用防止キャンペーンの音楽LIVEイベント「POWER of ART PROJECT (POAP)」の特別顧問・Executive Producer (2010年開催の4th LIVEより)
  • 「株式会社 ライティング・タッチ」 取締役
  • 「株式会社 マスター&ピューピル」 特別顧問
  • 「一般財団法人 映像文化振興協会」 理事
  • 「社団法人 世界孔子協会」 専務理事
  • 「財団法人 日中影視動漫協会」 専務理事


目次



改名歴

  1. 長田栄二
  2. 永田栄二
  3. 永田英二
  4. 八田英二
  5. 八田英史
  6. 八田英士
  7. 永田英士
  8. 再び永田英二
  9. 再び本名の長田栄二
  10. 2013年より三度目の永田英二


ジャニーズ時代の参加ユニット



その後の参加バンド



来歴

  • 幼少期に「劇団若草」に入る。 そして1965年12月に東京宝塚劇場で行われていた舞台『王様と私』に出演していた際、そのステージを観ていたジャニー喜多川が楽屋に訪れ、永田をスカウトした(共演していた近藤昌はこの時点ではまだスカウトされず)。  当時のジャニーズJr.は、松下公次(後の北公次)渡辺茂樹、永田、そしてもう一人(渡辺の友人のイニシャル「E」 or 佐藤登志雄)の4名しか居なかった。

  • やがて「永田栄二 (すぐに永田英二に変更)」の芸名を与えられ、小学5年生だった1967年1月に「フォーリーブス」を結成する。 最年少メンバーだったにも関らずリードボーカルを担当して活躍していたが、同年10月よりフォーリーブスが夜の生放送番組『プラチナゴールデンショー』(日本テレビ)にレギュラー出演が決まった際に脱退した。
    脱退の表向きな理由は、労働基準法61条5項(昭和22年4月7日制定)の、「満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了していない児童、つまり、中学校を卒業していない児童は、午後8時から午前5時まで労働してはならない」という部分に触れるためだとされた。 しかし、『プラチナゴールデンショー』の時間は毎週日曜日、19時からの30分だけであったし、労働基準法に触れる年齢のメンバーは他にもまだ2人居たにも関らず(江木が中3、おりもが中2)、永田1人だけが脱退させられた。 つまり、脱退の本当の理由は、ジャニー喜多川が一番若くて歌も上手い永田を寵愛しており、どうしても“ソロ”として売り出したくなったためであった。

  • 1968年9月、既存グループだった「ハイ・ソサエティー」にボーカルとして加入。 「永田英二とハイ・ソサエティー」名義で活動する中、中学2年生だった1969年8月10日に東芝レコード(エキスプレスレーベル)よりシングル『あこがれ』でソロレコードデビューを果たした。 キャッチフレーズは「ヤング・パワー No.1 ! !」。

  • 1969年10月、「第2回 新宿音楽祭」にて銀賞を受賞。

  • 1970年9月、フォーリーブスと共にアメリカへ約1ヶ月のダンス留学。 現地では『THIRTEEN PLACE』という曲のレコーディングも行なった。

  • 1971年末から胆のうと肝臓を患い、芸能活動にドクターストップがかかる。 手術や入院はしなかったが、通院しながら薬と針治療で療養生活を送る。

  • 途中、ステージやミュージカルには少しだけ出演したものの、約1年半の休業を経て、1973年4月にバンド「スーパーエイジス」を結成して本格的に復帰。 1969年のレコードデビュー当時は肥満体型で、身長150cmに対し体重が66kgもあったが、休業から復帰した頃には、身長180cm、体重60kgのスリム体型に激変した。

  • 連合赤軍事件で永田洋子が逮捕されたこともあり、1973年に芸名を「永田」姓から「八田」姓に改める。 命名者は作詞家の山口洋子

  • 所属レコード会社をCBSソニーに移り、1974年4月、「八田英士」の芸名でシングル『別れないでおくれ』で再デビュー。

  • 1977年にジャニーズ事務所を退社。 同年5月にRCAレコードより「永田英士」の芸名でシングル『青春挽歌』で再々デビュー。

  • 24歳だった1979年6月16日、覚醒剤取締法違反で逮捕される。同年1月中旬に新宿区の友人のマンションでビニールに入った覚醒剤1gを受け取っていた。
    しかし、逮捕直前の4月12日には、元・フォーリーブスの北公次も同じく覚醒剤取締法違反で逮捕されていたため、マスコミは北の事件の方に集中しており、永田の事件はあまり話題にならなかった。 [1]

  • 男性5人組の企画ロックバンド「東京コンジョレス」名義で、1980年1月28日にビクターレコードよりシングル『コンジョレス東京』にて再再々デビュー。 ボーカル担当。 ちなみに「コンジョレス」とは、当時の流行り言葉で「根性なし」の意味。

  • 1984年、テレビ静岡のキャンペーン「おはなししましょう」のキャンペーンソング『しず姫参上 ! !』の歌唱を本名の「長田栄二」名義で担当。 プロモーションビデオでは相楽晴子(相楽にとって芸能界初仕事)と共演した。

  • 1987年3月3日、長田栄二名義で音楽事務所「株式会社オフィス・タッチ」を設立し、代表取締役となる。  以降、黒夢IZAMなどを育てた。 また、代表としての仕事のみならず、音楽プロデューサー、作曲家などとしても活動。 小林旭の現場マネージャーをしていた時期もある。

  • 2004年に肺過誤腫を患ったが、5年ほどかけて克服。

  • 2011年5月29日、56歳の誕生日に、南青山・gigabar TOKYOにて「長田栄二“アラ還”記念ライブ」を開催し、久しぶりにステージに立つ。 当日は、45年以上の親交があった北公次もゲストとして招いた。
    その北が翌2012年2月22日に逝去した際には、長田は北の友人代表として、翌23日にワイドショー番組『ミヤネ屋』にインタビュー出演した。

  • 2013年より芸名を再び「永田英二」名義に戻す。

  • 2014年3月12日、バンド「東京コンジョレス」以来34年ぶりとなるアルバム『58 〜 フィフティ エイト』をリリース。これに伴い、オフィシャルウェブサイトも開設。

  • 同年11月13日、テレビ東京『木曜8時のコンサート 〜名曲!にっぽんの歌〜』に出演し、デビュー曲「あこがれ」を披露。 続いて11月18日、渋谷GUILTYにて「永田英二 with ミッキー吉野 SPECIAL LIVE 2014」を開催した。

  • 同年12月、アルバム『58 〜 フィフティ エイト』が、第56回 日本レコード大賞 企画賞を受賞。 薬物乱用防止キャンペーンの音楽LIVEイベント「POWER OF ART PROJECT」などの活動が認められての受賞だった。


人物・エピソード

  • 父親は日本舞踊(藤間流)の師範。 ジャニーズ事務所でもタレントに日舞を教えていた。

  • ザ・タイガ−スの弟バンドとも呼ばれたGSバンド「アルファード」の後期ドラム・岡田ケントと非常に仲が良かった。

  • 6thシングルのカップリング曲『大人は判ってくれない』が、ラッパー・DJのECDによる昭和和物グルーブMIX CD-R第二弾『Private Lesson 2』(2008年)に収録。  また、1stアルバム収録曲だった『ハートブレイク・ホテル』(原曲はエルヴィス・プレスリー)も、同MIX CD-Rシリーズ第三弾『Private Lesson 3』(2008年)に収録された。

  • 愛煙している煙草は、「マルボロライト(ゴールド)」のソフトパック。

  • 結婚相手の女性は、大手デザイナーズブランドの下請け企業の社長。


主な出演作品

バラエティ番組

  • プラチナゴールデンショー (日本テレビ)
  • ギャグジカル ジュンとヨッパ (1970年11月5日 - 1971年3月25日、TBS) レギュラー
      タイトルの「ジュン」は井上順(当時は井上順之)、「ヨッパ」はフォーリーブスの「四葉」からきたもの。
  • 歌え!ヤンヤン ! ! (テレビ東京)
  • 夜のヒットスタジオ (1974年6月10日、フジテレビ)
      「八田英士」名義で『別れないでおくれ』を披露。
  • おはなししましょう しず姫参上 ! ! 番組宣伝キャンペーン (1984年、テレビ静岡)
       「長田栄二」名義。 主題歌も担当。
  • 夏休みスペシャル・思い出のアイドルスター in 大磯 (1988年7月22日、フジテレビ)
      「大磯ロングビーチ」からの中継もので、永田はデビュー曲『あこがれ』を披露。 司会は愛川欽也、水沢アキ。他の出演者は、豊川誕、城みちる、天馬ルミ子、桜たまこ、荒川務、伊丹幸雄、あいざき進也、松本ちえこ、シェリー、藍美代子、能瀬慶子。
  • ミヤネ屋 (2012年2月23日、日本テレビ) 北公次の死去についてインタビュー出演
  • 木曜8時のコンサート 〜名曲!にっぽんの歌〜 (2014年11月13日、テレビ東京) デビュー曲『あこがれ』を披露
  • 内田裕也PRESENTS 42nd NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL (2015年1月10日、フジテレビ)

ラジオ

  • 集まれ歌謡曲 (ニッポン放送、司会:藤村有弘)
      全国各地での公開録音番組。フォーリーブス、ジューク・ボックスと共演。
  • 平凡アワー スターハイライト・ショー (ニッポン放送)
      全国各地での公開録音番組。 1972年2月19日(土)の群馬音楽センターの公録では、ハイ・ソサエティー、ジューク・ボックス、郷ひろみと共演。
  • ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?電撃的スペシャル
      (2011年9月23日:糸井重里と共にゲスト出演、2014年5月9日、NHKラジオ第1)
  • 宇都美慶子 アワージェネレーション
      (2013年8月17日&24日、2014年3月1日&8日、2015年1月10日&17日、FM三重)
  • 水田竜子の歌って素晴らしい (2014年7月1日、ラジオ日本)
  • キラメキミュージックスター 〜キラスタ〜 (2014年10月29日、FM NACK5)
  • 他多数…

舞台

  • 王様と私 (1965年4月2日 - 29日:梅田コマ劇場、12月2日 - 27日:東京宝塚劇場、製作:東宝)
      「劇団若草」時代に第一王子役で出演。 本名「長田栄二」名義。 近藤昌、岡崎友紀も子役で出演。
  • いつか何処かで 〜 フォーリーブス物語
      (1967年6月〜7月に10日間、大阪フェスティバルホール、脚本:ジャニー喜多川、演出&振付:山田卓、舞台監督:金一浩司、主催:民音)
  • レッツ・ゴー フォーリーブス (1969年12月、大阪フェスティバルホール、日生劇場)
    • 第1幕 ヤングサプライズ 「少年たち」 (英二役)
    • 第2幕 ミュージカル 「オオ・マイ・ママ」 (鳥羽家の甥の英二役)
  • 少年たちシリーズ 〜 フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 「生きていくのは僕たちだ!」
      (昭和46年度文化庁芸術祭参加作品ミュージカル。 原作:大森晶子『十七歳の絶唱』。
       1971年10月29日&31日・帝国劇場。大阪・名古屋公演も有り)
  • フォーリーブス イン クリスマス (1972年12月24日&25日、名古屋・御園座)
      第1部・『ミュージカル フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者』
         (作・構成・演出:ジャニー喜多川、振付:小井戸秀宅)
      第2部・『ヒット・ヒット・ヒット ゴールデンステージ』
  • フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者 (1973年3月)
  • 見上げてごらん夜の星を
      (フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル。1973年6月17日 - 9月2日に北海道から沖縄まで全国で公演。 大阪公演:7月30日 - 8月1日、東京公演:8月31日 - 9月2日。 作・演出:永六輔。音楽:いずみたく)
  • ライブ・ミュージカル 『少年たち 〜フォーリーブス・不朽の名作〜』
        (1975年4月5日 - 5月5日) 「八田英士」名義
  • タッチ (1980年) 「永田英二」名義

ステージ

  • 第33回 日劇ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日、日本劇場)
  • 第34回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1968年1月15日- 22日、日本劇場)
  • 第35回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年5月4日- 10日、日本劇場)
  • 第36回 日劇ウエスタン・カーニバル (1968年8月26日- 9月2日、日本劇場)
  • 第37回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1969年1月14日- 21日、日本劇場)
  • 第38回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年5月5日- 12日、日本劇場)
  • 第39回 日劇ウエスタン・カーニバル (1969年8月25日- 9月1日、日本劇場)
  • 「永田英二とハイ・ソサエティー」リサイタル (1969年11月3日、京都新聞ホール)
      永田のデビューシングル『あこがれ』の30万枚突破記念として行われた、関西初のリサイタル。 1日2回公演。 主催は関西アマチュア音楽文化連盟と、当時京都でアマチュアバンドのコンサートを企画・支援していた団体「AGSクラブ」による共催。  尚、「永田英二とハイ・ソサエティー」は同年10月12日に京都・十字屋四条店にてサイン会も行っている。
  • 第40回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1970年1月15日 - 22日、日本劇場)
  • 第41回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年5月2日 - 8日、日本劇場)
  • 第42回 日劇ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日、日本劇場)
  • 第43回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日、日本劇場)
  • 第44回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日、日本劇場)
  • 第45回 日劇ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日、日本劇場)
  • 第46回 新春日劇ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日、日本劇場)
  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」
      (1973年5月4日、日本劇場。振付:北公次、小井戸秀宅。音楽:高橋洋一。舞台装置:引田天功)
  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」 (1973年5月5日 & 6日、日本劇場。舞台装置:引田天功)
  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「ヤング・アイドルショー」
      (1973年5月7日 & 8日、日本劇場。音楽:渡辺茂樹。舞台装置:引田天功)
       第49回の3ステージは全て「永田英二とスーパーエイジス」名義で出演。
  • 長田栄二“アラ還”記念ライブ (2011年5月29日、南青山・gigabar TOKYO) ゲスト:北公次
  • POWER OF ART PROJECT 5th LIVE 2011 〜人と人との繋がりが・・・心を変える!「絆」〜
      (2011年10月20日、原宿・ASTRO HALL) バックバンドのドラムは長沢悟
  • オフィスタッチ & Sound Records合同企画イベント (2012年2月27日、渋谷・GUILTY)
  • POWER OF ART PROJECT 6th LIVE by the Music 〜明日へのチカラ〜
       (2012年5月29日、渋谷・GUILTY)
  • Sound Records Presents 「Live 4 seasons 〜夏〜」 (2012年9月7日、渋谷・GUILTY)
  • POWER OF ART PROJECT 7th LIVE 2012 〜勇気を出せば…人生が変わる ! ! 〜
       (2012年12月3日、渋谷・GAME) 近田春夫も出演
  • ひまわりの詩 タケ・ウケタ『SAIKAI 〜再会〜』リリース記念SPECIAL LIVE
      (2012年12月21日、港南区民文化センター・ひまわりの郷)
      ジャニーズ時代の盟友・円谷弘之と共にグループサウンズメドレーを披露。
  • POWER OF ART PROJECT 8th LIVE 2013 (2013年5月29日、渋谷・GUILTY)
  • 永田英二 「58 〜 フィフティ エイト」発売記念LIVE (2014年3月13日、渋谷・duo MUSIC EXCHANGE)
  • POWER OF ART PROJECT 9th LIVE 2014 〜YELL〜 (2014年5月29日、渋谷・GUILTY)
  • タケウケタ 「Kan Reki Live (還暦ライブ)」 (2014年6月17日、中目黒・楽屋)
  • 永田英二 with ミッキー吉野 SPECIAL LIVE 2014 (2014年11月18日、渋谷・GUILTY)
  • 内田裕也PRESENTS 42nd NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL (2014年12月31日、銀座博品館劇場)
  • 永田英二“還暦”記念LIVE (2015年5月29日、渋谷・GUILTY)

イベント

  • 永田栄二 還暦をお祝いする会 (立食形式のパーティー。2015年5月30日、品川プリンスホテル「ゴールド19」、料金:3万円、主催:社団法人新経済懇話会)


ディスコグラフィ

シングル

「永田英二」名義
  1. あこがれ c/w 二人の世界 (1969年8月10日)
       B面曲は、あおい輝彦の同名シングルとは全く別の曲。
  2. 恋をあげよう c/w 恋の歯車 (1970年1月10日)
  3. 悲しきトレイン北国行き c/w 昨夜の出来事 (1970年5月5日)
       A面曲は後に郷ひろみがコンサートでカバー。
  4. あのとき僕たちは c/w メイビー (1970年11月25日)
      B面曲はザ・シャンテルズのカバー。 訳詞:永田英二。
      ジャケット写真で一緒に写っている幼女は、4歳になって間もない藤島ジュリー景子[1]
  5. 愛は何処へゆく c/w 美しい夢 (1971年6月5日)
  6. 不思議な恋人 c/w 大人は判ってくれない (1971年。1970年にロサンゼルスにてレコーディング)
  7. THIRTEEN PLACE (US盤)
「八田英士」名義
  1. 別れないでおくれ c/w ひとり旅 (1974年4月21日)
      B面曲(作曲・編曲:鈴木邦彦)は、鈴木が実験的にクラビネット(電気式キーボード)サウンドを導入した意欲作だったものの、同時期に郷ひろみが全く同じサウンドのシングル『君は特別』(作曲・編曲:筒美京平。1974年6月21日発売のA面曲)で大ヒットを飛ばしたために完敗してしまったといういわく付きの作品として、また、1972年11月リリースのスティーヴィー・ワンダーの楽曲『迷信 (Superstition)』にそっくりだとして、歌謡曲マニアの間で知られている。
  2. それぞれの秋 c/w いわし雲 (1974年)
  3. さすらい c/w 風よはこんで (1974年。 A面曲は『ズンドコ節』のカバー)
「永田英士」名義
  • 青春挽歌 c/w 訣別 (アデュー) (1977年5月)
「東京コンジョレス」名義
  • コンジョレス東京 c/w ロックるロックンロール (1980年1月28日)

4曲入りEP

  • 悲しきトレイン北国行き / 恋をあげよう / あこがれ / ダイアナ (1970年。「永田英二」名義)

アルバム

  1. 恋をあげよう 〜 永田英二 / ビッグ・ヒットを歌う (1970年。「永田英二」名義)

       

  2. テネシー・ワルツ / 思い出のポピュラー・ヒットを歌う ! ! (1970年。「永田英二」名義)
      アレンジ:クニ河内、前田憲男、葵まさひこ。

       

  3. 新しい旅立ち (1974年。「八田英士」名義。ヌードポスター付)

       

  4. 郷愁 (1975年。「八田英士」名義)

       

  5. はやりことば白書 ’80 (1980年。「東京コンジョレス」名義)

       

  6. 58 〜 フィフティ エイト (2014年3月12日。「永田英二」名義)

       


客演アルバム

  • フォーリーブス・郷ひろみ ジョイント・リサイタル (1974年9月5日)
      ジャニーズ事務所の自主制作によるライヴ盤。シリアルナンバー入りのLP2枚組。 フォーリーブス、郷ひろみ、ジャニーズ・ジュニア(9人ジュニア)との共演盤で、同年5月3日に大阪フェスティバルホールで行われたコンサートの模様を収録。 後にCBSソニーレーベルから再発売。 「八田英士」名義で、シングル『別れないでおくれ』の歌唱で参加。

オムニバス・アルバム

  1. リクエスト・ベスト・14 (1969年、LPレコード、TP-7371)
      『あこがれ』で参加。 「永田英二」名義。
  2. リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7401)
      『恋をあげよう』で参加。 「永田英二」名義。
  3. リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7425)
      『悲しきトレイン北国行き』で参加。 「永田英二」名義。
  4. リクエスト・ベスト・14 (1970年、LPレコード、TP-7489)
      『あのとき僕たちは』で参加。 「永田英二」名義。
  5. ヤング・ポップス ’70 (1970年、LPレコード、EP-7753)
      『あこがれ』、『恋をあげよう』の2曲で参加。 「永田英二」名義。
  6. プレスリー & トム・ヒット 12 (LPレコード、FRC-034)
      1stアルバムにも収録の『ハートブレイク・ホテル』(原曲はエルヴィス・プレスリー)で参加。 「永田英二」名義。
  7. ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.8 (1974年5月21日、LPレコード、SOLJ-94)
       『別れないでおくれ』で参加。 「八田英士」名義。
  8. ゴールデン・ヒット・ポップス 12 Vol.9 (1974年7月21日、LPレコード、SOLJ-98)
       再び『別れないでおくれ』で参加。 「八田英士」名義。

非売品レコード

  • インタビューレコード
      1970年のアルバム『テネシー・ワルツ / 思い出のポピュラー・ヒットを歌う ! !』の購入者が応募できる懸賞プレゼント盤として制作された。 「永田英二」名義。

レコード化されていない楽曲

  • しず姫参上 ! !
      作詞:SHOW、作曲:服部清。 1984年のテレビ静岡のキャンペーン「おはなししましょう」のキャンペーンソング。 「長田栄二」名義。


主な作曲提供作品

  • グリコ「パピコ」のCMソング
  • 日本旅行「赤い風船」のCMソング
  • 宇多川都 『まぶしすぎて』 (東映映画『極道の妻たち リベンジ』エンディング・テーマ、2000年8月23日発売)


新聞・雑誌

  • スポーツニッポン (2014年2月24日付)
  • 日刊スポーツ (2014年2月26日付の宅配版)
  • 毎日新聞 (2014年5月14日付の夕刊「POPS こぼれっ話」のコーナー)
  • 読売新聞 (2014年7月24日付の夕刊の東京本社版)
  • 週刊女性 (2015年5月26日号、主婦と生活社)
  • 週刊アサヒ芸能 (2015年10月8日号、徳間書店)
      「音楽生活52年 ジャニーズ1期生が初めて明かした大スター10人の(秘)素顔」


外部リンク








出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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