青山孝史 - ジャニーズ百科事典
ジャニーズ百科事典
BACK

青山孝史

     


青山 孝史(あおやま たかし、1951年8月10日 - 2009年1月28日)は、日本の元・歌手。 1970年代を代表した男性アイドルグループ「フォーリーブス」のメンバーだった。
本名:城下孝行(しろした たかゆき)。 愛称:ター坊。 身長:165cm、体重:54kg。足:24.5cm。 血液型:A型。
佐賀県佐賀郡高木瀬村(1954年3月31日より佐賀市高木瀬町)出身。 その後、神奈川県川崎市東渡田(後の川崎区田島町) → 杉並区永福町 → 渋谷区幡ヶ谷へと転居して育った。
3児の父親。 息子の城下一正は「KAZU」名義でギタリストとして活動。


目次



芸名の改名歴

  1. 城下孝
  2. 青山孝
  3. 青山孝史 (2002年より)

所属事務所

  1. 渡辺プロダクション
  2. ジャニーズ事務所
  3. サワズ★カムパニー (後の三木プロダクション)
  4. ノン・エンタープライズ
  5. エフエンタープライズ (再結成後のフォーリーブス活動時の事務所)

学歴

  1. 佐賀市立協楽園小学校 (1963年に佐賀市立高木瀬小学校に統合されて廃校)
  2. 川崎市立渡田小学校
  3. 私立高輪中学校 (男子校)
  4. 私立高輪高等学校 (男子校)
  5. 堀越高等学校 (成績優秀のため卒業時に表彰された)
  6. 日本大学芸術学部演劇学科 (中退)


来歴

  • 協楽園小学校4年生の時に父親の仕事の都合で、佐賀市高木瀬町から川崎市東渡田(後の川崎区田島町)へと移り住んだ。

  • 学校での成績が優秀だったため、小学校の校長先生の推薦により、東京都港区高輪に在る私立男子校の高輪中学校に入学。ここでも優等生だった。

  • 中学3年生の時に「東京音楽学院」に合格。特待生として奨学金を貰いながら1967年まで在籍。 スクールメイツにも選抜された。

  • 1967年、ジャニーズ事務所に入所。 その経緯について、「ジャニーズ事務所に一週間通い詰め、その熱意と根性を認められてジャニー喜多川より入所を認めてもらった」というストーリーが作られて世間に発表されたが、 実際の経緯は、むしろジャニー喜多川の方から青山をスカウトしたというものであった。

  • 1972年の暮れに、ジャニーズ事務所の第ニ号女性タレントの嶋田じゅん(本名:島田純。1970年のミス・ユニバース日本代表のハーフ)との熱愛がマスコミに発覚。 その後、『微笑』(1977年1月29日号)では青山が二股をしていたことも暴かれたが、嶋田と約7年の交際を経て、1977年8月26日にロサンゼルスの「ウェイフェア・チャペル (ガラスの教会)」で挙式した。 ハネムーンはラスベガスとハワイ。 披露宴は同年9月11日に虎ノ門のホテルオークラ(後のホテルオークラ東京)で開かれ、その模様は当日フジテレビでも放送された(披露宴の司会者は徳光和夫)。  嶋田との間には、1979年に女児、1982年に男児をもうけた。

  • 1978年8月31日にフォーリーブスが解散。 翌1979年には映画『わが青春のイレブン』の主題歌『季節の中の魚たち』をソロでリリースしたが、同年内にジャニーズ事務所を退社した。

  • 1980年代前半に赤坂で喫茶店をオープン。 更に1988年10月にはおりも政夫と共同で、静岡県浜松市中区肴町316-38 イキシアビル3Fにてショーパブ『ステージバー・グリッター』を開店(雑誌『FOCUS』1988年11月4日号にも掲載)。  更に翌1989年初頭には、同ビル4Fに音楽学校『タレント・ミュージック・スクール』も開いた。 出資者はいずれもジャニーズ事務所。 尚、音楽学校の方だけはすぐに閉校してしまった。
    その後、麻雀荘の経営(妻の嶋田じゅんと共に)、静岡県沼津市でパブのマスター、ホットドッグの店をフランチャイズ展開する会社「ノン・エンタープライズ」の役員などをするようになる。

  • 1991年、名古屋でファンの集いを開催。

  • 1996年8月、バースデーディナーショーを開催。 同年12月、クリスマスディナーショーを開催。

  • 1996年、嶋田じゅんと離婚。 翌1997年、別の女性・めぐみさんと再婚し、1998年1月19日に女児を一人もうける。

  • 2002年にフォーリーブスを再結成。 以後、日本全国で精力的にコンサート活動を開始。

  • 同年11月、芸名を「青山孝史」に改名。

  • 2003年3月、新宿シアターアプルにて、前妻・嶋田じゅんとの間に生まれた女児(当時24歳)、男児(当時20歳)と共に「ファミリーコンサート」を開催。

  • 同年8月、尿管結石を患う。

  • フォーリーブスの全国ツアーの真最中であった2008年10月中旬に、肝臓がんであることが発覚。 すぐに入院して抗がん剤治療を開始した。メンバーたちには翌11月後半に告知。 一時は腹水が10kg以上もたまるなどの一進一退の病状で、青山の体調を心配したメンバーはツアーの中止を考えた。 しかし青山は、「4人揃わなければフォーリーブスじゃない」とツアーの続行を強く訴えたため、 メンバーも青山の意気込みに押されてツアー続行を決意。 そして、入院先の病院を抜け出す形で出演した11月24日の中野サンプラザでのコンサートにて、癌であることは伏せながらも「肝臓の病気が酷くなった」という旨をファンに対して発表した。
    以降もコンサートがある度に病院を抜け出し、2回ステージに立ったが、病状の悪化により、2時間のステージで30分出演するのがやっとの状態だった。

  • 2009年1月16日、肝臓癌であることを公式発表。

  • 同月25日、新宿・歌舞伎町の行きつけのパブ「Grazie (グラッチェ)」にて大宴会を繰り広げる。

  • 同月28日午前7時、東京都内の病院にて、妻と、わずか11歳(小学5年)の娘に看取られながら逝去した。 57歳没。
    同年2月3日には渋谷区西原の代々幡斎場にて通夜、翌4日には葬儀・告別式がしめやかに営まれ、フォーリーブスのメンバー3人、初代メンバーだった長田栄二、 更には郷ひろみ井上純一豊川誕川ア麻世らジャニーズ事務所時代の後輩、 歌手の橋幸夫、あべ静江、西城秀樹、野口五郎、 放送作家の山田美保子などの芸能関係者やファンら、3,000人余りが詰めかけた。 また、斎場には黒柳徹子、平尾昌晃、森進一、伊東四朗ら多数の芸能関係者からの供花も飾られた。  そして弔辞に立った江木俊夫は、 「ター坊、言っただろ。『フォーリーブスは永遠に続く』って。約束破るなよ!」、 「ター坊の歌声がフォーリーブスの歌声だった。俺たちはこれからどうするんだ?」、 「(再結成からの)7年間、本当に楽しかったよ」と、目を腫らしながら語った。
    当日の遺影に使われた写真は、妻と娘が「一番似合いそうだから」と選んだもので、霊前には青山が大好きだったという「うな丼」が備えられた。 そして棺の中には、妻子からの手紙、フォーリーブスのレコードジャケットと歌詞のコピー30枚、好きだったお茶やチョコ、マッサージの時に使った手ぬぐい、天国でも作曲が出来るようにと楽譜と鉛筆、そして、亡くなった翌日に青山の訃報記事が1面で報じられた日刊スポーツなどが納められた。 大好きだったお酒と煙草だけは、青山が生前に夫人に「入れなくていい」と言っていたために入れられなかった。
    尚、青山は逝去する3日前に都内のスナックで行われたファンとの会合に出席しており、その際の録音音源が放送作家・芸能コラムニストの山田美保子の事務所に届けられたため、ワイドショー番組にて「最後の声」として放送された。 また、青山の所属事務所はジャニーズ事務所に対して通夜と告別式の日程をFAXで知らせたが、弔電さえも届かなかった。

  • 同年3月29日に東京厚生年金会館大ホールで行なわれたフォーリーブスのラストコンサートには、青山の愛娘・憂子さんも、バックダンサー「スクールメイツ KID'S」の一員として参加した。 憂子さんは2006年12月(小学3年)からスクールメイツのメイツジュニアとしての活動を始めており、約2年間のダンスレッスンの成果をステージで表現。 「緊張しましたけど、楽しかったです。 お父さんのように元気をあげられるような人を目指して頑張ります」とコメントした。

  • 同年9月、おりも政夫とのオフィシャルファンクラブ 「YG Club」が開設(運営はエフエンタープライズ)。

  • 2010年1月23日には、東京・九段会館で「青山孝史さんを偲ぶ会」が行われ、2,000人を超えるファンたちが献花に集まった。 司会進行はおりも政夫が担当し、北公次と、映画『急げ!若者』の小谷承靖(つぐのぶ)監督も駆けつけた。(江木は仕事のため欠席)

  • 2010年8月7日、千葉・舞浜のClub IKSPIARIにて、ビデオLIVE「Takashi Aoyama Video Live The four season of 2006 〜Summer〜 Once more」が行われた。 2011年2月20日には大阪市浪速区・Flaming the Arusha、同年11月20日には再び舞浜・Club IKSPIARIで開催。


人物

  • 趣味:スポーツ観戦

  • 好きな食べ物:うな丼、ムール貝、オムライス、ぶどう

  • 歌唱力が非常に優れていた。 更に作曲や編曲を学び、実際に作曲も行うなど、グループにおいて音楽面でのリーダー的存在であった。  また、自室をスタジオに改造して、自ら楽器演奏や編曲なども行なっていた。

  • 10代の頃から若白髪が非常に多い体質だった。

  • 1971年3月、アイドル現役当時に日本大学芸術学部音楽学科声楽コースを受験して話題となったが、惜しくも不合格となった。 その後も芸能活動と受験勉強を両立しながら2浪を経て、1973年4月、3度目の受験で日本大学芸術学部演劇学科に入学した。

  • 受験勉強や大学への通学、作曲やアレンジの勉強で忙しかったこともあり、ソロでの活動は少なかった。
    それでもファンからの人気は高く、当時の雑誌の表紙やグラビアにおいても、メンバーの中で一番大きく扱われることがあった。

  • 3歳年下の弟・城下宣博も、かつて「青山信宏」の芸名でジャニーズ事務所に所属していた。 その後、「田村幸司」の芸名で俳優活動。

  • 嶋田じゅんとの間にもうけた息子の城下カズ(本名:城下一正、1982年8月4日、神奈川県海老名市生まれ。15歳まで町田市育ち。O型)は、「X JAPAN」のHIDEに影響を受け、1999年にミクスチャーロックバンド「VIRUS (ヴァイラス)」を結成。 ギタリストとして活動し、2001年にBMGファンハウスからシングル『Crazy Doll』でメジャーデビュー。
      (尚、「VIRUS (ヴァイラス)」というバンド名については、X JAPANのHIDEのバックギタリスト・KIYOSHIがかつて在籍していたインディーズのビジュアル系バンドの名前が同じく「Virus (ヴァイラス)」で、それを丸々引用して命名された)
    2003年、メンバーの脱退を機にバンドを解散。 同年3月、新宿シアターアプルにて、父・青山孝史、姉との3人でファミリーコンサートを開催。
    その後は、おりも政夫のライブに参加したり、元「ハイ・ソサエティー」の杉征夫、元「メッツ」の砂野誠一と共に、「ELECTRONIC JELLYFISH」や、「J ・K ・P (ジャンケンポン)」といったバンドも結成した。  また、2012年にプロデューサー 兼 アートディレクターの駿東宏と共に、個人事務所&レーベル「Jet Planet」を設立し、CD制作、映像制作、絵の展示会、グッズ販売などを行う。 2015年3月にはJet Planetを法人化し、「合同会社 Jet Planet」となった。
    2016年1月8日、神奈川県相模原市にレストラン 兼 スタジオの「Zephyr Cafe' (ゼファー・カフェ)」をオープン。

  • 父方の親戚に、大映映画製作部で助監督をしていた大石要(おおいし かなめ。2012年10月27日に心筋梗塞で逝去)が居た。
    大映退社後は、「パンチ音楽出版」を設立して代表取締役社長となり、新橋の駅前ビルで平凡出版(後のマガジンハウス)公認ストア「パンチ・ショップ」を経営したり、月刊学生情報誌『College Community』の発行や、ピンク女優・原悦子のマネージャーをしていた。 そして政財界にも交遊関係がある顔の広い人物だった。

  • 「NHKの貴公子」の異名を持つ武田真一アナウンサーが、青山と顔が似ていると言われている。

  • 青山の墓は高尾山の「東京霊園」にあり、おりも政夫が墓参りの様子をブログで写真付きで綴っている。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ラブラブショー (1977年9月11日 日曜22:00〜22:30、フジテレビ)
      「独占!フォーリーブス結婚式完全中継」。 嶋田じゅんとの披露宴番組。 番組司会は芳村真理。 披露宴の司会は徳光和夫。
  • とびだせ!つり仲間 (1981年 - 、テレビ東京)
  • 象印クイズ ヒントでピント (テレビ朝日) ゲスト出演
  • クイズ・ドレミファドン! (1983年〜1984年頃、フジテレビ) 江木俊夫と共にゲスト出演
  • 井出洋介名人の実戦麻雀 あなたならどう打つ? (1985年、テレビ東京) 司会
  • ファミっ子大作戦 (1986年 - 、テレビ東京) 司会
       番組名はアニメ『魔女っ子大作戦』からのパクリ。
  • おしゃれビリヤード専科 (1987年、テレビ朝日) 司会。 三浦陽子プロとの番組。
  • バドミントン専科 (日本テレビ) 司会
  • ゴルフしま専科 (日本テレビ) 司会。 江木俊夫もゲスト出演。
  • カラオケ一番 (1993年前後、テレビ埼玉) 司会
  • 春蝶・ざこばのおこしやす! (1988年暮れ、毎日放送) おりも政夫と共に出演
  • 土曜の朝にふたりでブランチ (1988年10月11日 - 1990年、千葉テレビ) 司会
  • この他、所ジョージのバラエティ番組で、松本伊代のバックダンサー「キャプテン」の2人と共にハワイに行ったりもした。

テレビドラマ

連続ドラマ

  • おれは男だ! (1971年2月21日&28日、日本テレビ)
       第1話と2話にフォーリーブスの4人でゲスト出演
  • 青春をつっ走れ (1972年5月1日、フジテレビ)
       第5話にフォーリーブスの4人でゲスト出演。
  • とことんやれ大奮戦 (1973年、日本テレビ、演出:澤田隆治)
       フォーリーブスの4人での出演。
  • ぼくは叔父さん (1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ) フォーリーブスの4人での出演
  • ボクは女学生 (1973年10月5日 - 1974年3月29日、フジテレビ)
       フォーリーブスのメンバーとゲスト出演
  • お姉ちゃん (1973年12月14日、TBS)
       第2話にフォーリーブスの4人でゲスト出演。 板前見習いの田渕たかのり役。
  • 小さなスーパーマン ガンバロン
       (1977年4月3日、日本テレビ) 第1話にフォーリーブスの4人でゲスト出演
  • 銀座わが町 (青山は1973年10月31日からの出演。NHK総合)
      森光子経営の酒屋の店員・忠役。 郷ひろみと共演。
         

単発ドラマ

  • ヒヤヒヤ一泊旅行 (1971年7月16日、TBS)
      フォーリーブスの4人での出演。 「矢兵そば屋」の店員・ひろし役。
  • 切り札をもつ女 〜 産婦人科院長殺人事件 (1985年2月9日、テレビ朝日)
  • 宅配便で運ばれたヌードギャル 〜 手錠の男と女大逃亡!(1986年3月8日、テレビ朝日)
  • 定年当日の離縁状 二十六年待った妻 (1987年6月22日、テレビ東京)
      1988年度テレビジョンATP賞ベスト20番組選出作品。
  • 文豪サスペンス 「復讐 〜死者からの告発状〜」(1988年10月24日、テレビ東京) 首吊り自殺をする倉谷登役
  • 美空ひばり物語 (1989年12月30日、TBS)
      『悲しき口笛』や『東京キッド』の作曲家・万城目正 (まんじょうめ ただし) 役。 あおい輝彦布川敏和と共演。

映画

  • 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年7月20日、東宝 / ジャック・プロ、監督:小谷承靖)
       隆役。 公開前のタイトルは『僕たちの明日』。
  • 夕ぐれ族 (1984年4月20日、にっかつロマンポルノ) 風間良夫役
  • 恋子の毎日 (1988年12月17日、東映) 西脇役

舞台

  • 東宝ミュージカル 「マイ・フェア・レディ」
      (1978年6月3日 - 28日:東京宝塚劇場、1979年3月1日 - 20日:中日劇場、10月1日 - 26日:梅田コマ劇場) 貧乏貴族の令息 フレディ・アインスフォード=ヒル役
  • 東宝ミュージカル 「ザ サウンド オブ ミュージック」
      (1980年3月1日 - 20日:中日劇場、7月2日 - 27日:梅田コマ劇場、8月2日 - 25日:日生劇場) 郵便配達人のロルフ・グルーバー役。 梅田コマと日生劇場のみ香坂みゆきと共演。
  • 花のお江戸のてんぷく駕籠や (1982年11月3日 - 27日、中日劇場)
  • ミュージカル 「夜明けのシンデレラ」 (1984年)
  • 細川たかし 特別公演 「新宿情話」 (1984年4月29日 - 5月29日、新宿コマ劇場)
       大村崑、麻丘めぐみ、ガッツ石松らと共演。
  • 伊東四朗の納涼特別公演 五月みどりを迎えて (1984年7月5日 - 、中日劇場)
  • 愛の伝説 〜文麻呂となよたけの世界〜 (1984年10月2日 - 、全17回公演、主演:田中健)
  • ダンス・シアター・コンパニア・マリカ公演 「午前3時のティータイム」
       (1985年8月14日 - 25日、星降会館、共演:マッハ文朱、横山あきお) 主演

ラジオ

  • ラジオエッセイ 西崎義展と宇宙戦艦ヤマトの友たち (1979年7月13日、ニッポン放送)
      深夜の「オールナイトニッポン 第一部」枠で放送された2時間特番。 青山は番組の最後に登場し、西崎義展が音楽プロデューサーとして参加した映画『わが青春のイレブン』の主題歌「季節の中の魚たち」を披露した。
  • ミッド・ナイト・プラザ (1984年、アール・エフ・ラジオ日本) レギュラー
  • ラジオ村 (2002年8月29日、ラジオニッポン)ゲスト出演


ディスコグラフィ

シングル

  • 若いってすばらしい c/w 恋のジェンカ
       (「スクールメイツ」名義作品。1967年3月。キングレコード)
  • 季節の中の魚たち c/w 青春貴族
      (1979年7月21日。 A面曲は、森谷泰章川ア麻世橋本美砂子が出演した映画『わが青春のイレブン』の主題歌。 B面曲は同映画の挿入歌。 2曲とも青山自身が作曲を担当)
  • 潮騒の季節 c/w ワンナイトトリップ (1981年3月)
      A面曲は、テレビ東京『とびだせ!つり仲間』テーマ曲。
      作詩・作曲:青山孝、補作詩:実川しげる、編曲:高橋洋一。
  • 塩屋の岬 c/w かもめ (1990年にカセットテープでのみ販売された演歌)

アルバム

  • 幸福という二文字 (読み方は「しあわせというふたもじ」。1977年10月1日)
      全13曲。ポスター付き。 青山自身が全て作曲し、その内6曲は作詞も担当した。
      尚、このアルバムに、更に1979年のシングル『季節の中の魚たち c/w 青春貴族』を加えたCD盤が、2009年3月17日にソニー・ミュージックダイレクトの「オーダーメイドファクトリー」レーベルより発売された。

       

客演参加

  • 初恋地獄篇 (1970年)
      天井桟敷レーベル第一弾アルバム。 120人の著名人が次々に初恋のエピソードを告白する「初恋告白 / 声の署名」に、北公次と共に参加。 2004年12月25日にCDで復刻。

提供楽曲

  • 梓みちよ 『ひとり暮し』
        (作詞・作曲を青山が担当。 梓のシングル『ノクターン』のB面曲。1977年9月5日)


雑誌

  • 週刊ポスト (1976年12月、小学館)
      「有名人麻雀大会」のコーナーに参加。 赤坂の料亭にて、グレート小鹿、砂川啓介、松原誠と対局した。


パンフレット

  • 青山孝史 LIVE パンフレット
      (ファンクラブ限定販売。2008年11月8日に六本木「STB139 Sweet Basil」で行われた最後のソロLIVEの模様を写真で綴ったパンフレット。 A4版、32P。 また、2007年3月25日に同じくSweet Basilで行われたライブより、『ずっと君を愛してた』の1曲を収めたDVD付き)


カレンダー

  • YG Club オリジナル 2011 カレンダー
      (ファンクラブ限定販売。おりも政夫とのカレンダー。ハガキサイズでの13枚セット)


モデルとなった作品

  • スター小説 青山孝物語 (『週刊マーガレット』 1969年6月22日号 - 12月28日号、全28回、集英社)







出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
Text is available under
ブログパーツUL5

  

We welcome links from other websites.
Copyright of my site's all original sentences(c)Johnny's Encyclopedia. No rights reserved.

inserted by FC2 system