葵てるよし - ジャニーズ百科事典
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葵てるよし

       


葵 てるよし(あおい てるよし、本名:浅井 照善、1955年11月14日生まれ)は、愛知県名古屋市西区生まれ、同市北区楠町育ちの実業家。 元アイドル歌手。
後に芸能プロダクション「(株)アオイコーポレーション」の社長に。
旧芸名:浅井あきら葵テルヨシ。 愛称:テルくん。 身長:168cm、体重:48kg(デビュー当時の身体データ)。
名古屋市立味鋺小学校、名古屋大学教育学部附属中学校、同附属高校を経て、都立駒場高校(定時制)に転校。 兄弟は2歳下に妹が一人、9歳下に弟が一人。


目次



改名歴

  1. 浅井あきら
  2. 葵テルヨシ
  3. 葵てるよし


ジャニーズ時代の参加ユニット



来歴

  • 小学5年生の時、名古屋のちびっ子のど自慢番組『どんぐり音楽会』(CBCテレビ)に出演して歌謡曲を披露。

  • 続いて小学6年生の時に、CBCテレビ『虹のステージNo.1』にも出演し、舟木一夫のシングル曲『星の広場へ集まれ!』を披露してチャンピオンになる。  この番組では、同い年の野口五郎も別の週でチャンピオンになっていたため、「チャンピオン大会」では野口と同じステージで競ったが、両者とも優勝は出来なかった。

  • 「ザ・タイガース」に憧れ、中学時代にGSグループを結成し、ボーカルを担当。 名古屋大学教育学部附属高校でも4人組のフォークグループを結成し、文化祭のステージに出ていた。

  • かつて同じステージで優勝を競った同い年の野口五郎は、一足先に上京し、高校1年の1971年5月1日に歌手デビュー。2ndシングルの『青いリンゴ』がヒットして既に人気歌手となっていた。 こうした野口の活躍にも触発され、1972年8月30日(16歳、高校2年の夏)に、三重県の長島温泉で行われたフォーリーブスのショーの楽屋に押しかけ、その場に居たジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川に「歌をやりたい!」と頼み込み、その場で歌を披露。 その結果、「東京でやる気ないか?」と認められ、ジャニーズ事務所に入れてもらう。 そして翌々日の9月1日にはもう上京して合宿所に入った。  この急な上京と芸能界入りについて、母親は賛成してくれたものの、父親は反対した。しかしジャニー喜多川が父親を説得し、無事に上京することとなった。

  • ジャニーから“浅井あきら”の芸名を与えられ、上京からわずか2日後の1972年9月3日、茨城県日立市で行われたフォーリーブスのショーでいきなり初舞台を踏む。 フォーリーブスのシングル曲『明日が生まれる』を披露した。 以降、フォーリーブスの地方公演には必ず帯同して歌わせてもらうようになる。
    そしてフォーリーブスの付き人をしながら、作曲家の千田鉦二に師事して歌を学び、「西野バレエ団」に通ってダンスレッスンもした。

  • 1972年末から1973年春にかけ、「ジューク・ボックス」にサポートメンバーとして参加。

  • 1973年、TBSテレビの連続ドラマ『木下恵介アワー おやじ山脈』で郷ひろみと共演し、テレビドラマデビュー。
    間もなくして、ジャニー喜多川から新たに“葵テルヨシ”の芸名を与えられる。 由来は、名古屋出身ということで「葵の御紋」から引用。

  • 1973年6月21日、ポリドールから筒美京平作曲の『かんじる10代』でレコードデビュー。 キャッチフレーズは、「フォーリーブスの弟、ジャニーズ一家の末っ子」。 ステージでのバックバンドは、同事務所の「アニメーション」が専属で担当した。
    ソロコンサートだけでなく、アイドル歌手・伊藤咲子とのジョイントコンサートも開催した。

  • 谷隼人と離婚した後の岡美智子(ファッションモデル)と1975年に交際していた時期もあったが、翌1976年、ジャズオーケストラ「豊岡豊とスウィングフェイス」のバンドマスターでありドラマーの豊岡豊(1930年5月29日 - 2012年11月30日。82歳没)の娘と結婚した。 (「豊岡豊とスウィングフェイス」は、ジャニーズタレントが多く出演していた音楽番組『ベスト30歌謡曲』(テレビ朝日)の演奏もしていたオーケストラ)

  • 1977年に実家の家業である石材店を継ぐために歌手を引退し、故郷の名古屋へ戻る。  その後、「葵てるよし」の通名で実業家となった。 企画制作会社「オフィス ダックスフンド」、イベント制作会社「創夢」を立ち上げ、東京にも進出し、モデルをしていた風間トオルを芸能マネジメントするための事務所「パイプライン」も立ち上げた。  そしてこれら3社を統合し、1993年8月に「株式会社 アオイコーポレーション」を設立。 風間の他に、美木良介、細川茂樹、玉木宏などもマネージメントした。
    その後、「MAカンパニー」(「エム・エーフィールド」と「MAパブリッシング」の前身)、「(株)ジョイナス エンターテインメント (旧社名:United Notes)」、「(株)NEXT」、「(株)アオイダイニング」など、多数の関連会社を次々に展開。
    また、ジャニーズ事務所とはずっと親しい関係にあり、V6関係の舞台やコンサート、他には再結成後のフォーリーブスのコンサートにも協力している。


人物・エピソード

  • 趣味はスポーツ。 小学4年から中学3年まではバスケットボール部に所属した。

  • 書道5段

  • 嫌いな食べ物 : 鶏肉

  • 1973年当時のデータ
    • 趣味 − スポーツ、レコード鑑賞
    • 好きな色 − 白、紺
    • 好きな花 − スイートピー
    • 尊敬する人 − フォーリーブス、布施明、スリー・ドッグ・ナイト、トム・ジョーンズ
    • 将来の夢 − 世界に通用する歌手になり、本場イタリアにてカンツォーネを唄うこと。

  • 1975年9月15日、東京郵便貯金会館で行われた男性アイドルグループ「フレンズ」の解散公演に、小坂まさると共にゲスト出演。

  • 映画監督・金子修介の著作『失われた歌謡曲』(1999年5月、小学館)の中に、葵に関する記述が少しだけある。

  • 1992年7月、地元・名古屋の企業「金印わさび株式会社」の抗菌抗カビ剤の特許出願に、葵も協力している。


主な出演作品

テレビドラマ

「浅井あきら」名義

  • 木下恵介アワー 『おやじ山脈』 (1973年、TBS)
      郷ひろみと共演。 主題歌は郷の『天使の詩』。

「葵テルヨシ」名義

  • 木下恵介アワー 『天下のおやじ』 (1974年4月3日 - 9月25日、TBS) 津田又三郎役
  • 男なら (1975年10月4日 - 1976年3月13日、日本テレビ)
       葵のシングル曲『ぜいたくな青春』が挿入歌として使われた。

「葵てるよし」名義

  • ホームワークスペシャル (1993年10月1日、TBS)

バラエティ番組

  • ぎんざNOW! (TBS)
  • 歌え!ヤンヤン ! ! (テレビ東京)
  • 歌の散歩道 (テレビ東京) 司会
  • ミュージック・イン・ドリーム (1974年4月21日、テレビ朝日)
  • 暑さをぶっ飛ばせ! (1974年、日本テレビ)
  • ベスト30歌謡曲 (テレビ朝日)
  • 夜のヒットスタジオ (1974年10月14日、フジテレビ) 『通りすぎた愛』を披露
  • 新・底抜け脱線ゲーム (1975年3月26日、日本テレビ)
  • 心で歌う50年 (1975年3月26日、テレビ東京)
  • ヤングおー!おー! (1975年4月20日、TBS)
  • 宮田輝の日本縦断 ふるさと (1975年11月29日、テレビ朝日) 第32回にゲスト出演

ラジオ

  • サンデーミッドナイト (ニッポン放送)

ステージ

  • フォーリーブス イン クリスマス (1972年12月24日&25日、名古屋・御園座)
      ジューク・ボックスのサポートメンバー「浅井あきら」として出演。
      第1部・『ミュージカル フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者』
         (作・構成・演出:ジャニー喜多川、振付:小井戸秀宅)
      第2部・『ヒット・ヒット・ヒット ゴールデンステージ』
  • フォーリーブス物語 〜 星に帰った若者 (1973年1月)
      同じくジューク・ボックスのサポートメンバー「浅井あきら」として出演。

ステージ

  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」
       (1973年5月4日、日本劇場。音楽:高橋洋一。舞台装置:引田天功)
  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」
       (1973年5月5日 & 6日、日本劇場。舞台装置:引田天功)
  • 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「ヤング・アイドルショー」
       (1973年5月7日 & 8日、日本劇場。音楽:渡辺茂樹。舞台装置:引田天功)
  • 郷ひろみ サマードリームヤングフェスティバル (1973年8月3日&4日、名古屋・御園座) ゲスト出演
       『ハートはもらった』、『ヘイ・ジュテーム』、『かんじる10代』の3曲を歌唱。
  • 葵テルヨシ フレッシュコンサート (1974年3月29日、大阪フェステイバルホール)
  • 第53回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ばらとみかんとバイオリンと
       (1975年3月28日 - 31日、日本劇場) 友情出演
  • 第54回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル
       (1975年8月27日、日本劇場)
  • 他多数…


ディスコグラフィ

シングル

  • かんじる10代 c/w ハートはもらった (1973年6月21日)
       オリコン最高54位。 売上数:約4.6万枚。
  • 抱きしめあう愛 c/w 家に帰ろう (1973年10月21日)
       オリコン最高67位。 売上数:約1.7万枚。
  • あの子にクック c/w 愛がこわい (1974年4月1日)
      オリコン最高61位。 売上数:約2.8万枚。
      B面曲は、郷ひろみ田原俊彦がコンサートでカバー。 少年隊もアルバムでカバーしている。
  • 通りすぎた愛 c/w ふみにじられた青春 (1974年9月)
  • 卒業式の夜 c/w 旅 (1975年3月21日)
       オリコン最高92位。 売上数:約0.7万枚。
  • いつの日も愛は哀しく c/w 過去ある僕 (1975年)
  • ぜいたくな青春 c/w にぎやかな孤独 (1976年2月)
       A面曲は日本テレビ系のドラマ『男なら』の挿入歌。
  • ほんとに久しぶりだね c/w 笑っておくれ (1976年12月)
       A面曲の原曲は寺尾聰。

4曲入りEP

  • 葵テルヨシ ベスト4
      収録曲:あの子にクック / かんじる10代 / 抱きしめあう愛 / 愛がこわい
  • 葵テルヨシ ゴールデン4
      収録曲:卒業式の夜 / 旅 / かんじる10代 / あの子にクック

アルバム

  • テルヨシ・ファースト 抱きしめあう愛 (1974年)

       

  • 葵テルヨシ フレッシュコンサート Teruyoshi Live In Osaka (ライブ盤。1974年)
      1974年3月29日に大阪フェスティバルホールで行われたコンサートを収録。

       



外部リンク








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