スリー・ファンキーズ - ジャニーズ百科事典
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スリー・ファンキーズ

    


スリー・ファンキーズ(3 Funkies)は、日本で最初の男性アイドルユニット。 1960年代にコーラスグループとして活躍した。  「スリー・ファンキーズ」や「Three Funkys」と表記する場合もある。  愛称:スリファン。 当時の所属事務所は第一プロダクション。 1961年結成。 1966年2月5日解散。

日本の男性アイドルグループの元祖と位置付けられる存在で、1962年にデビューした「ジャニーズ」と共に、 このジャンルの確立に多大な影響を与えた。 (「ジャニーズ」は、スリー・ファンキーズが若い女性から「身近な男の子」として絶大な人気を集めていたことに触発されて、ジャニー喜多川が結成させたグループ)

スリー・ファンキーズの代表曲は、『浮気なスー (悲しき恋の物語)』(ディオン&ザ・ベルモンツのカバー)、『涙のムーディー・リバー』、『ナカナカ見つからない』など。
メンバーの脱退・加入が激しく、メンバー構成は4期に分かれる。


目次



メンバー

  • 長沢純 (リーダー。1期〜4期)
      本名:長澤毅(ながさわ つよし)。1941年6月17日生まれ。O型。法政大学第二高等学校卒業、法政大学法学部中退。
      1963年にソロレコードデビュー。 スリー・ファンキーズ解散後も、ソロシングル『二人で歩こう c/w 遠い渚』(B面はシャープ・ホークスのカバー。東芝音楽工業)、 『越前竹人形 c/w 愛』(1971年、ストロベリーレコードからの自主制作。AB面曲とも長沢が作詞、作曲、編曲)をリリースした。
      1969年12月に制作会社「株式会社 長沢企画」を設立。 代表取締役社長を務めながら、テレビ番組の司会者、俳優、タレントとして活躍した。  また一時期、女優の川口晶(後の陶芸家・国重晶)と結婚していたが、1974年春に離婚。 1年半後の1975年秋に別の女性と再婚した。
      1977年7月、第11回 参議院議員通常選挙に無所属で全国区から立候補。13万票あまりの票を得たが落選した。
      その後は、長沢企画グループとして、グラフィックデザインを扱う「有限会社 長沢クリエイション」や、ビルマネジメント業の「有限会社 エヌ・ケービル」なども設立。 芸能界、スポーツ界、政財界に幅広い人脈を持っており、元アメリカ大統領のビル・クリントンを招いて長沢企画創立パーティーを盛大に行ったりもした。 元ロシア大統領のミハイル・ゴルバチョフ、石原慎太郎、細川佳代子(第79代内閣総理大臣細川護熙夫人)などとも親交がある。
      2007年4月、諸星和己主演のドラマ『うさぎがもちつき』(BS-i、インターネットと同時放送)へ出演。 35年ぶりの連続テレビドラマ出演となり、詰襟の学生服姿でコミカルな演技を披露した。
      尚、息子の長澤純一郎は、20代半ばにして長沢企画の取締役に就任し、「リチャード長澤」名義で活動。 その後、2006年に知人の紹介で“ヤンキー先生”こと義家弘介(よしいえ ひろゆき)と出会い急接近。 翌2007年7月の参院選に義家が出馬した際、長澤純一郎も選挙スタッフとして支援にまわり、当選後は義家弘介参院議員の公設第2秘書となった。 長澤純一郎は2007年に結婚したが、その披露宴には、義家弘介の他、徳光和夫、小泉純一郎元首相、中川秀直元自民党幹事長ら、政界の重鎮たちも出席した。
      孫の長沢一輝(かずき。2007年7月18日生まれ)も、子役タレントとして長沢企画に所属させ、プロデュースしている。

  • 手塚しげお (3期〜4期)
      1942年1月27日 - 2004年2月4日。 当初は「手塚茂夫」と名乗っていた。1963年にソロレコードデビュー。  グループ解散後はクラウンレコードに移籍してソロ歌手として活動後、俳優に転向した。  肺癌で死去。 62歳没。

  • 早瀬雅男 (4期)
      1948年3月14日生まれ。元ファッションモデル。当初は「早瀬高明」と名乗っていた。 解散後はGSバンド「ザ・ビーバーズ」を結成。

脱退メンバー

  • 鎌田実 (1期のみ)

  • 高橋元太郎 (たかはし げんたろう。 1期〜2期)
      本名:風間 元太郎。1941年1月15日生まれ。クリスチャン。 小学校時代に上高田少年合唱団に参加。 私立育英学院育英中学校、都立松原高校卒業。
      ウエスタンバンド「ワゴンスターズ」の出身で、その当時は「高橋わたる」と名乗っていた。当時ワゴンスターズのメンバーには、鹿内孝、菊池正夫、多田正幸らが居た。
      1962年6月、ソロ歌手転向のためにスリー・ファンキーズを脱退。 その後、1969年より俳優へ転身。一番の代表作である『水戸黄門』(うっかり八兵衛役)では、元「ジャニーズ」のあおい輝彦と長年共演した。

  • 高倉一志 (たかくら ひとし。 2期〜3期)
      1963年にソロレコードデビュー。 1965年2月にグループを脱退し、俳優の高倉健にあやかって「高倉健志 (たかくら けんじ)」に改名。 俳優活動をしながら、シングル『はなうたブルース c/w さよならしても別れても』(1965年、東芝音楽工業)で再びソロレコードデビュー。 続いて、シングル『まっかっか c/w はなうた三度笠』(1965年)もリリースした。
      更に翌1966年からは「藤健次」へと改名し、やはり俳優活動と並行しながら、シングル『男の門出 c/w 俺とおれ』(1966年4月5日)にて、ミノルフォンレコード(後の徳間ジャパン)より演歌歌手として再々ソロデビュー。 続いて、シングル『俺のあいつ c/w 待ってなよ』(1966年8月26日)、『雪子のロック c/w あの娘は太陽』(1967年8月10日)、『星あかり c/w 朝霧の街』(1968年5月10日)をリリースした。 芸能界引退後は第一プロダクションのマネージャーに。


メンバー変遷

メンバーの脱退・加入が激しく、メンバー構成は4期に分かれる。

  • 第1期 (1961年)
    • 長沢純 高橋元太郎 鎌田実

  • 第2期 (1961年夏〜1962年6月)
    • 長沢純 高橋元太郎 高倉一志

  • 第3期 (1962年8月〜1965年2月。最も長く活躍した期)
    • 長沢純 高倉一志 手塚しげお

  • 第4期 (1965年2月〜1966年2月)
    • 長沢純 手塚しげお 早瀬雅男


概要

  • 1960年1月、銀座のジャズ喫茶「テネシー」が行なったロック歌手募集に、長沢純高橋元太郎鎌田実の所属するそれぞれ別々のカントリー&ウエスタンバンドが合格した。 ちなみに高橋は当時、高橋わたるの芸名で「ワゴンスターズ」というエレキバンドに所属していた。
    ある日、テネシーでのステージを観ていた日本テレビの売れっ子ディレクター・秋元近史(1982年に飛び降り自殺。49歳没。 父は俳人の秋元不死男。叔母は劇作家の秋元松代)によって、3つのバンドの中から長沢、高橋、鎌田の3名がそれぞれピックアップされる。 そして、「お前ら、3人だから“スリー・ファンキーズ”でいいか」と命名され、第一プロダクションに所属し、1961年2月、 生放送のミュージカルドラマ『ミュージカルバラエティ 魅惑の宵』(司会:ロイ・ジェームス。アシスタント:後の小澤征爾夫人の入江美樹)にてテレビデビューした。
    長沢純曰く「音楽の基礎を学んでいた訳ではなかったので、出演者というより見学者の気分で、メインの出演者のバックで体を動かしたり、 口パクでステージを行なっていた」のだが、 その身近な雰囲気が逆に視聴者に受け入れられて、「後ろで踊っている男の子3人組について教えて欲しい」という問い合わせが日本テレビに殺到した。

  • 1961年夏に鎌田が抜け、高倉一志が加入。 同年8月、「日劇ウエスタンカーニバル」に初登場。

  • 1962年1月、東芝音楽工業(後の東芝EMI)から、アルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』にてレコードデビューを飾る。 当時としてはアルバムでのデビューは異例のことだった。(1960年の時点でシングル『でさのよツイスト』を発売してレコードデビューしたという情報が多く広まっているが、それは誤り)
    収録曲の中では、「浮気なスー (悲しき恋の物語)」(ディオン&ザ・ベルモンツのカバー)が特にヒット。 テレビ、ラジオ、ジャズ喫茶にひっぱりだことなった。

  • 同年3月末、有楽町・よみうりホールで初の記念リサイタルを開催。

  • 同年5月、1stシングル『でさのよツイスト』発売。

  • 同年6月、高橋元太郎が脱退。 これにより、『週刊平凡』(1962年6月14日号)にて解散説が大々的に報じられた。

  • 同年8月、少年時代劇『矢車剣之助』(1959年 - 1961年、日本テレビ)の主演で活躍していた手塚茂夫(途中から手塚しげお)が加わり、第二期黄金時代を築く。

  • 同年、「なんば花月」のこけら落し公演を、坂本スミ子らと務める。

  • 1963年、高倉一志がシングル『かっこいい三度笠』でソロレコードデビュー。 その後しばらくして、同じく1963年に長沢純がシングル『遠い昔に帰りたい』、手塚しげおがシングル『若い湖』で二人同時にソロレコードデビュー。

  • 1965年2月、高倉一志が抜け、ファッションモデルだった早瀬高明(途中から早瀬雅男)が新たに加入。

  • 同年11月、手塚しげおが独立宣言し、グループの解散が決定。

  • 1966年2月5日、リサイタル「サヨナラファンキーズステージ」にて解散。 当日は美空ひばりがサプライズゲストとして登場し、持ち歌の『柔』を披露してくれた。


主な出演作品

テレビドラマ

  • 若い季節 (NHK総合) - 3期メンバー

バラエティ番組

  • ミュージカルバラエティ 魅惑の宵 (1961年2月 - 4月7日、日本テレビ) - テレビデビュー作品。レギュラー。
  • 夜をたのしく (1961年4月9日 - 5月7日、全5回の番組、日本テレビ) - レギュラー
  • シャボン玉ホリデー (1961年6月4日 - 、日本テレビ)
  • ザ・ヒットパレード (フジテレビ)
  • 若さで行こう (日本テレビ)

映画

  • 歌う明星 〜 青春がいっぱい (1962年7月8日、東映東京) - 2期メンバー
      アイドル雑誌『明星』を舞台にしたミュージカル映画。 当初の仮タイトルは『若さでいこうよ』。
  • かっこいい若者たち (1962年8月12日、大映東京) - 2期メンバー
  • ハイハイ3人娘 (1963年、宝塚映画) - 3期メンバー
  • 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん (1963年、宝塚映画) - 3期メンバー
  • 喜劇 駅前音頭 (1964年8月11日、東京映画) - 3期メンバー


ディスコグラフィ

シングル

  1. でさのよツイスト c/w アカパルコのお転婆娘 (1962年5月の1stシングル、2期メンバー
      A面曲は、近田春夫&ハルヲフォンが1978年6月21日発売のアルバム『電撃的東京』にて、 更にPetty Bookaが1999年2月発売のアルバム『Dancing with Petty Booka』にてそれぞれカバーしている。  また、小西康陽がDJの時にヘヴィー・プレイすることでも知られている和モノ・グルーヴ・クラシック。
  2. 涙の日記 c/w 恋の1ドル銀貨 (1962年5月、2期メンバー。両曲ともバリー・ダーベルのカバー
  3. スチールギターとワイングラス c/w 恋の急行列車 (1962年7月、2期メンバー
      A面はポール・アンカの『A Steel Guitar and a Glass of Wine』、B面はヴェルベッツのカバー。
  4. ナカナカ見つからない c/w 一人ぼっちがやになった (3期メンバー。B面は長沢のソロ曲
  5. 心のとどかぬラヴレター c/w 踊ろよ、ベイビー! (3期メンバー
      A面はエルヴィス・プレスリー、B面はボビー・フリーマン、クリフ・リチャードのカバー。
  6. 恋人は海の彼方に c/w 冷たい街角 (1963年3月、3期メンバー
      A面はトニー・シェリダン&ビート・ブラザーズ(後のビートルズ)の『マイ・ボニー』のカバー。元々はスコットランド民謡。
  7. ラヴ c/w もゆる瞳 (1963年、3期メンバー
  8. 想い出のダイアナ c/w 若いみそらで (3期メンバー。A面曲はポール・アンカのカバー
  9. ドリーマー c/w ちょっぴり愛して (3期メンバー
  10. レッツ メイク メモリー c/w マクリン トックのテーマ (3期メンバー
  11. 抱きしめたい c/w サウスタウンUSA (1964年4月、3期メンバー
       A面はビートルズ、B面はディキシーベルズのカバー。
  12. 駅前音頭 c/w 予備校ブルース (1964年、3期メンバー、A面曲は映画『喜劇 駅前音頭』の主題歌
  13. オンボログルマでスッとばせ c/w 太陽の下のハイウェイ (3期メンバー
  14. GTOでぶっとばせ c/w ドゥ・ワ・ディディ・ディディ (1965年、3期メンバー
       A面はロニー&デイトナズ、B面はマンフレッド・マンのカバー。
  15. ブットンダ c/w 三年早いよ (1965年、4期メンバー
  16. カレン c/w ダンディー少佐マーチ (1965年、4期メンバー
      A面はザ・ビーチ・ボーイズ、B面はミッチ・ミラー合唱団のカバー。 演奏は寺内タケシとブルージーンズ。
  17. オン・ザ・ビーチ c/w 青春の渚 (1965年、4期メンバー
       A面はクリフ・リチャード、B面はブルース&テリーのカバー。
  18. オーオーオー c/w でっかい太陽 (1965年、4期メンバー
  19. スターズ・オン・スリーファンキーズ c/w 遠い渚 (1981年、4期メンバー)
      同窓会企画として4期メンバーが再集結してリリース。A面は「恋人は海の彼方に」、「ナカナカ見つからない」、「浮気なスー (悲しき恋の物語)」、「涙のムーディー・リバー」(パット・ブーンのカバー)、「レッツ・メイク・メモリー」のメドレー。 B面は長沢純のソロ曲で、シャープ・ホークスのカバー。

シングル (長沢純ソロ)

グループ在籍中のソロシングルのみ記載。スリー・ファンキーズと同じく東芝音楽工業からのリリース。
  1. 愛しておくれ c/w 遠い昔に帰りたい (1963年
      A面の原曲はクリケッツやリトル・リチャードの『Send Me Some Lovin'』で、長沢本人による日本語訳詞。 また、レコードのジャケットは背景が青いものと黒いものの2種類が存在した。

シングル (高倉一志ソロ)

グループ在籍中のソロシングルのみ記載。スリー・ファンキーズと同じく東芝音楽工業からのリリース。
  1. かっこいい三度笠 c/w 泣き虫街道 (1963年

シングル (手塚しげおソロ)

グループ在籍中のソロシングルのみ記載。全てスリー・ファンキーズと同じく東芝音楽工業からのリリース。
  1. 若い湖 c/w 青春の並木道 (1963年
  2. 明日のために c/w 星に祈ろう (1964年
  3. 青春の夢のせて c/w 遠い夜 (1965年

東芝フォノブック (ソノシート)

  1. スリー・ファンキーズのツイスト (1962年、2期メンバー)
      デビューシングル『でさのよツイスト c/w アカパルコのお転婆娘』の2曲が入ったソノシート版。
  2. 唄え 3ファンキーズ (2期メンバー)
      「浮気なスー (悲しき恋の物語)」、「ダーク・ダーク・サングラス」、「ミスター・ロンリネス」(ジーン・ヴィンセントのカバー)、「お月さまとキューピット」の4曲を収録。

アルバム

   
  1. スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード
      1962年1月。2期メンバー。10inchレコード。製品番号:JPO 1160) - レコードデビュー作品

       

  2. 若さで行こう
      (1962年。2期メンバー。弘田三枝子、斉藤チヤ子、克美しげるとの共演盤。10inchレコード。製品番号:JPO 1195)

       

  3. スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード (Vol.2) (1962年。2期メンバー。10inchレコード。製品番号:JPO 1222)

       

  4. スリーファンキーズ ヒットパレード (3期メンバー。10inchレコード。製品番号:JPO 1261)
  5. スリーファンキーズ リクエストタイム (3期メンバー。10inchレコード。製品番号:JPO 1331)
  6. GOLDEN 60's COLLECTION スリーファンキーズ GREATEST HITS (1987年)

       

  7. スリー・ファンキーズ コレクション (1996年7月10日、2枚組CD、東芝EMI)

       



著書

  • うっかり八兵衛半生記 〜 多力本願 (高橋元太郎 著、1997年9月、アスペクト)


外部リンク








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