スリー・ヤンキース - ジャニーズ百科事典
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スリー・ヤンキース

    


スリー・ヤンキースとは、1978年にジャニーズ事務所からデビューした女性トリオである。


目次



メンバー

  • 橋本美砂子 (1956年6月26日生まれ。愛称:ミチャ。 当時21歳。 ファースト担当) リーダー
      東京都青梅市西分町 or 勝沼出身。 地元では有名な美少女だった。 私立国立 (くにたち) 音楽大学音楽学部音楽教育学科卒業。

  • 川崎志津子 (1961年8月18日生まれ。愛称:アンパン。 当時16歳。 セカンド担当)

  • 松尾貴子 (1961年6月17日生まれ。愛称:ブヒ。 当時17歳。 キャッチャー担当)


概要

  • 1978年3月、フジテレビの『土曜グランドスペシャル』枠で放送される女子野球番組『ニューヤンキース』のために、同名の女子野球チームが結成された。  視聴者から選手を一般公募し、約2,500人の応募者の中から選ばれた35人(平均年齢18歳)を女子野球選手として鍛え、芸能人の野球チームと対戦させるという内容で、同年4月から放映が開始された。

  • この番組は、当時人気だった女子プロレスの「ビューティ・ペア」の野球版を狙って企画されたもので、 コーチには元・女子プロ野球選手の近藤信子(元「サロンパス」)と中村桂子(元「三共」)が就任。 試合会場は、ちょうどこの年に開場した横浜スタジアムが主に使用された。(第1戦の「オールスターズ戦」のみ後楽園球場。またピンク・レディー出場の際は軽井沢で行うなど、野外での試合もまれにあった)
    ちなみに、選ばれた選手の中には、ヤクルト・スワローズや西武ライオンズの監督を務めた広岡達朗の長女も居たが、チームが芸能活動を始めると、父である広岡の意向で退団させられてしまった。

  • 土曜日の19:30〜20:54というゴールデンタイムに放映されたり、アメリカ遠征までするなど、かなり力の入った企画ではあったが、 所詮は萩本欽一の充電期間中の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のつなぎ番組だった上、 当時高視聴率のお化け番組だった『クイズダービー』、『8時だョ!全員集合』(共にTBS)を筆頭に、『連想ゲーム』、『刑事コロンボ』(共にNHK総合)、 当時無名の松平健をスターダムに押し上げた『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)、 更に本家本元のプロ野球である日本テレビの土曜ナイターといった強力な裏番組勢に押され、平均視聴率は10%にも届かなかった。 しかも、『ニューヤンキース』自体もフジテレビの土曜ナイターで休止される頻度が高かった。
    そして半年後の9月から欽ドンが再開されるのに伴い、放映時間が『火曜ワイドスペシャル』枠や、ゴールデンタイムからの格下げである土・日の夕方へと移行された。
    その後、メンバーから選抜した3人を「スリー・ヤンキース」としてジャニーズ事務所から歌手デビューさせたり、女子プロレスにならって悪役軍団(「ブラックイーグル」)を登場させるなどのテコ入れを行ったが実らず、1年後の1979年3月には放映終了。 スリー・ヤンキースも解散となった。
    尚、ニューヤンキースの中で最も人気があって売れたのは、後に女優&歌手デビューした花井その子であった(円谷プロダクション所属)。  また、野球チームとしての「ニューヤンキース」は1980年代もしばらく存続し、毎月数回の試合を行なっていた。 1980年6月24日放送のテレビ東京の連続ドラマ『特撮野郎アクションシリーズ! ぼくら野球探偵団』の第10話「赤マントに消された美少女チーム」にもニューヤンキースがゲスト出演している。

  • 当時この番組を観ていた鈴木聡子(旧姓:富岡。元「ブルーバード」→「わかもと」の選手)は、「あの程度の実力なら私たちもまだ負けやしない」と、元プロ・ノンプロの仲間たちに声を掛け、クラブチーム「ブルーエンゼルス」を結成。 更にニューヤンキースの指導にあたっていた近藤も、選手たちのプレーぶりに歯がゆさを感じたのか、自ら1978年に、元プロ選手を中心とするチーム「東京スターズ」を結成した。


対戦相手

  • オールスターズ
      オーソドックスな芸能人チームで、一番多く戦った。 1978年4月22日放送分の第1戦の始球式は木之内みどり。同年7月15日放送分にはピンク・レディーが出場。
      尚、ピンク・レディーが出場した際には、守備や打順が次のように正式ルールとは異なっていた。
      1. 守備の時は、ミーとケイがショートの守備位置に2人で立っていた(つまり「オールスターズ」は10名で守っていた)。
      2. 打順は、ミーとケイが1順ずつ交代していた。
  • オールジャパン (日本プロ野球OBチーム)
  • オールナインズ (「昭和九年会」所属の芸能人チーム。岩崎宏美が特別参加)
  • オール日活フレンドリー (日活所属の俳優のチーム。宍戸錠や長門裕之らが出場)


主な出演

バラエティ番組

  • オールスター春の祭典スペシャル (1978年4月3日、フジテレビ)
      『土曜グランドスペシャル』名義でニューヤンキースメンバーとして出演。
  • 土曜グランドスペシャル (1978年4月15日 - 8月26日、フジテレビ)
    • オールスター対抗!女子野球大会
    • オールスター春の紅白バレーボール大会 (男女混合)
    • オールスター紅白大運動会
    • 激突!五種競技 ビューティ・ペア VS ニューヤンキース
    • オールスター紅白水泳大会 (男女混合)
    • 激突!!女子スター選抜バレーボール大会 (女性限定)
    • 真夏の水中フェスティバル ’78 〜 女の子で一杯満員御礼 (8月12日放送)
        女性限定。 ロケ地は大磯ロングビーチではなく豊島園。司会はおりも政夫でなく小林大輔アナウンサーだった。

      ニューヤンキースは、宣伝のために『土曜グランドスペシャル』枠の全ての番組に出演。オープニングでも毎回ニューヤンキースが歌を披露していた。(途中からはスリー・ヤンキースの『ザ・ベースボール』)
      但し、当番組枠で放送された『欽ちゃんのドンとやってみよう!○月編』(「○」には放送月が入る。6月17日、7月29日、8月19日の全3回)にのみニューヤンキースは出演せず、オープニングの主題歌披露も無かった。

  • ニューヤンキース (フジテレビ、1978年4月22日 - 1979年3月)
      月1回の割合で行われていたニューヤンキースの野球試合の番組。 上記の『土曜グランドスペシャル』枠で放送されていたが、ニューヤンキースの試合の時だけは、『土曜グランドスペシャル』の冠が外れて放送されていた。
      また、1978年8月までは『土曜グランドスペシャル』枠だったが、9月以降は『火曜ワイドスペシャル』枠、土曜の夕方枠、日曜の夕方『日曜スペシャル』枠で放送された。

  • 夜のヒットスタジオ (1978年8月28日、フジテレビ) 『ザ・ベースボール』を披露
       
  • クイズ・ドレミファドン! (1978年8月13日、フジテレビ)
      「オールスター番組対抗戦」にて、『土曜グランドスペシャル』名義でニューヤンキースメンバーとして出演。
  • 君こそスターだ! (フジテレビ)
    この他、橋本美砂子は解散後も『全日本女子プロレス中継』(フジテレビ。会場レポーター)、『600 こちら情報部』(NHK総合。レポーター)、『3時のおじゃまクイズ』(テレビ東京。初代アシスタント)などに出演した。

映画

  • わが青春のイレブン (1979年7月21日、東映)

CM

  • ロート製薬 「パンシロンG」
      「ニューヤンキース」のメンバーとして出演。 当時同製品のCMに出演していた佐々木信也との共演作。

イベント

雑誌

  • 月刊ウィークエンドスーパー
      (1978年11月号、セルフ出版 〔後の白夜書房〕) カラーグラビア4ページ
       


ディスコグラフィ

シングル

  • ザ・ベースボール c/w ラッキーチャンス (1978年7月25日、キャニオン・レコード)

      歌唱用の衣装は、「ニューヤンキース」の実戦用ユニフォーム(ニューヤンキースには練習用のセカンドユニフォームも存在)をモチーフにしながらも全身スパンコールで製作。 胸には筆記体で「3Yankees」と書かれ、野球用のストッキング(ソックス)は履かず、生足が全部むき出しの状態で歌われた。
      尚、『土曜グランドスペシャル』のオープニングでA面曲を歌う際は、実戦用ユニフォームのままで歌われた。
      また、『土曜グランドスペシャル』の前期はニューヤンキースが全員で別の曲を歌っていたが、タイトルや作詞・作曲者は不明。


外部リンク








出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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